「今日は残りの人生の始めの1ページ」4年・松本浩己
皆さんこんにちは。
個人的に好きな後輩で、将来顔が川崎フロンターレの家長選手に似るであろう古山から紹介に与りました、法学部地球環境法学科4年の松本浩己です。
今回はテーマに沿ってサッカー人生をざっくり振り返ろうと思います。
本格的にサッカーを始めたのは小学1年生で、小学生時代はサッカー漬けの日々。毎週以下のようなスケジュールで週6でサッカーしていました。
月、水:J-フロンテッジ フットボールスクール
木:クーバー・コーチング 室内サッカースクール
金:川崎フロンターレ(スクール)
土、日:真福寺FCの練習+練習試合
当時、麻生区選抜やレイエスクラスに選ばれていたこともあり、「自分はサッカーが上手い」と錯覚していました。
でも今思うと全然上手くなかったし、正直小学生のサッカーなんて体のでかさとスピードがあれば通用できちゃうんですよね。自分はたまたま生まれつき体がでかかったから通用していただけだったんです。
小学校を卒業して、周りがクラブチームやJの下部組織に進む中、中学受験をした私は自称進学校である東京都市大学付属中学に入学しました。サッカーに関しては無名ではあったものの、グラウンドは綺麗な人工芝で一丁前でした。また部員数も一丁前で、中学のサッカー部は1学年40人ほどいたので部員数が100人を超えるという強豪校並みの規模感でした。それでもやっぱりみんな和気藹々としていて楽しめればいいという雰囲気が漂っていたため、正直それが自分とは合いませんでした。
サッカーをやるからには本気でやって絶対1番でありたい、負けたくないという思いが強かった私は、中学3年で主将を任され、その思いを仲間と共有しながら「楽しみながらも勝つチーム」を目指し、学生コーチに指示された通りひたすら走りました。当時は走ってばかりで本当に大丈夫かと心配になりましたが、結果的に春の大会で数々の強豪校を倒すジャイキリを起こし、都大会準優勝という快挙を成し遂げ、605校ある東京都の中学校の中で2位になりました。
とても嬉しかったんですけど、この結果に完全燃焼してしまったのか、それ以降の試合では全く勝てなくなってしまいました(笑)
そんなこんなで中学を卒業し、中高一貫なのでそのまま都市大付属高校に入学し、当たり前のようにサッカー部に入部。高校では他校がスポーツ推薦などで強くなり、ほとんど勝てず、どの大会も1、2回戦で負け、都大会にも出場できませんでした。中学時代に倒した駿台や國學院久我山とは、高校時代は試合すらさせてもらえなくて虚しくなったのを今でも覚えています。
それが悔しくて、自分はもっとできると感じていたのでより高いレベルを求めて、上智大学体育会サッカー部への入部を決めました。入部当初はCBで1番下のカテゴリーに配属され、正直何度も部活を辞めようと思いました。しかし、色々縁あって現在は自分よりも上手い選手たちと一緒にプレーさせてもらえて、日々のサッカーが充実しています。
今シーズンは少しでもチームの勝利と1部昇格という目標に貢献したいです。昨シーズンの後期の東大戦で放った私のシュートは2本ともポストに嫌われました。あの2本を決めていれば上智は最終節まで昇格の可能性を残せたかもしれない。普段の練習での自分の甘さが出てしまった場面だと思い、後悔してもしきれませんでした。この悔しさをバネに今年は普段の練習から貪欲さを全開に出して、チームのために走り、大事なとこで点を決めるFWになります。
ps.タイトルは私が一番好きな曲である「ゆれるfeat.田我流」の歌詞です。過去の失敗を引きずりすぎず、後悔しないように生きたいですね。
次は、小田原に住むワンダーボーイ星野君です。