「輝き方」4年・中村風人
かわいい後輩である野田祐成から紹介してもらいました(祐成、落ち着いたら流石に飯行って色々話さないとね!笑)、今シーズン副主将を務めさせていただいております、4年の中村風人です。
まず、1年以上もの長期に渡るコロナ禍において部として活動ができている事、大会が開催される事に対して、保護者・大学・連盟各々の部に関わる全ての方々に、この場を借りて深く感謝申し上げます。
さて、早速本文に突入するため、以下より文体が変わります。
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本当は、この組織への思いや日々感じていることなど、書きたい伝えたいことは沢山あるのだが、今回のテーマは「今までのサッカー人生と今年の目標」との事なので、それに即して進めていきたい。
輝かしい成績のある華やかなサッカー人生ではないが、一風変わったディープなものだと思うので、長くなるが是非飽きずに読んでもらえると幸いである。
小学生
父の影響により幼稚園児の物心ついた頃から2人でボールを蹴り始め、小学校に上がるタイミングで地元のチームに加入。
常に相手ペナに陣取り、来たボールをスルーパスかドリブルシュートして得点を量産するお山の大将だった。小さなコミュニティーの中でそれが通じてしまっていたので、ブロックトレセンに選ばれるなど、小学生時代は楽しく気持ちよくサッカーをしていた。
中学生
よりレベルの高い環境を求めて、セレクションを受けた。どんな奇跡か倍率7倍くらいのクラブに合格。
しかし、一度もサッカーを楽しめなかった。
いや、正確にいうと周りが上手すぎて追いつくのに必死でしんどかった。
彼らは皆ギラギラしていて、ハングリー精神がすごかった。葛飾・足立区を拠点とするクラブはその地域のJ下部落ちの上手い子が集まっていて、言っちゃえばヤンキーのような集団(喫煙者がいたり、練習前に会場の中学校でトラブルを起こしたり)だった。中央区のぬるま湯に浸かっていた余所者で下手くそな自分は、今だから言えるがコテンパンにいじめられた。笑
一対一では、コーチに見えないよう体を入れるフリして肘打ちに膝蹴りは日常茶飯事だったし、自分のビブスはすぐ破けて縫っての繰り返し。
でも、なにせ彼らはめちゃくちゃ上手くて、自分はチームの中でめちゃくちゃ下手だった。今までを振り返っても、あれほど敵わないと思った事はない。試合では、J下部に勝つ事も珍しくなかったし強豪相手にも引けを取らないプレーをする。スタメン級の選手は皆全国の強豪校にサッカー推薦で進学し、TVの選手権に映る人や、今も関東リーガーとしてプレーしている人も多くいる。
だからこそ死ぬほど悔しかった。
自分より上手すぎるいじめっ子の彼らを見返したくて、毎回練習後に教わった事を思い出してノートに箇条書きして毎日見返せるよう、追い越せるよう必死だった。でも、時には血迷って正当な方法でないのは分かっていたけど悔しすぎてやり返したりもした。
もちろん、もっとやられた笑
父子家庭なのに高い月謝を払ってもらいながらもサッカーをさせてもらえているのに、
自分なりに負けたくなくてこんなに頑張っているのに、
それでも憎いほど彼らには追いつけなくて、とても惨めになった。
そして、そんな自分にも嫌気がさした。
しかし、何故かサッカーは嫌いにならなかったし、ずっと好きだった。笑
その理由は、現在自己分析中なので割愛する。
それでも、
自分のサッカー観や感覚、個人戦術の多くを叩き込まれたのは間違いなくこの中学時代であり、今の大半の基盤にもなっている。自分の攻撃センスに見切りをつけ、DFにコンバートさせてくれたのもそうである。守備の出す足、切り方、足の運び、背後とインターセプトの駆け引きなど。挙げればキリがない。そんなの気にした事すらなかった自分には、全てが新鮮だった。本を読め、美術館に行け、クラシックを聴け、感性を高めろ、今となっては当時より少し意味がわかる。
高校生
高校時代、鋼のメンタルを身につけた。
1年の秋頃から試合に出場させてもらっていたが、何せ本当に怒鳴られなかった日はない。そのコーチには、サッカーだけでなく人としての在り方も学んだ。高校同期がこれを見たら、1人残さず全員が大きく頷くであろう。少しでもプレーが良くないと、自分だけでなく家族や当時付き合っていた彼女の事まで馬鹿にされる。笑 何ならそのコーチに皆怯えすぎて、車のナンバーまで覚えている。笑
そのコーチは学校でも知れ渡っていたので、校内中に響き渡る怒号で皆に恥ずかしい思いをしたくなくて、毎日必死に練習した。どんな事を言われようと、へこたれずに練習した。
それでも、自分は本当に良い先輩・後輩・同期に巡り会えたおかげで、毎日がとても楽しかったし、3度Tリーグと選手権を経験させてもらった事はコーチに感謝してもしきれないし、引退前最後の最後に褒めてもらう機会もあり、それらは今でも財産として自分の中に残っている。
そして今は、上智大学体育会サッカー部に在籍している。
様々な背景を持った仲間と、サッカーについて考え、組織について考え、自己の成長とこの組織の価値を高めるために考動できるこの組織性質は、サッカー人としてだけでなく人間的にも大きく成長できる環境である。
「大切なことは全てサッカーが教えてくれた」
みたいな本だったか言葉だったかを見たことがある。全てとまではいかないがサッカーを通して、サッカーもそうでない事も本当に色んなことを学んでこれている人生だと思う。
この上智大学体育会サッカー部という特殊な性質を持った組織の中枢として携われている事もまた、サッカーが自分に与えてくれた恩恵である。そして今年もまた、多くの新たな学びを自分にもたらしてくれる。
中学時代の彼らより、これまでサッカーを通して出会ってきた誰よりも、サッカーを通して人として成長したい。
選手としても、4年生でも今からもっと上手くなれるはずだ。
何度挫折したって大丈夫。今の自分には鋼のメンタルがある。
これまでの部員ブログを見ても、上智大学体育会サッカー部には多種多様な背景を持った人達が集まって来ていると感じる。そしてこの組織を形成している数々の要素を考えた上で、私は
「この組織だからこそ誰もが輝けるし、そのチャンスがある」
事を示したい。それを選手としても、幹部副主将としても、身をもって証明することが今シーズンの目標である。
下手くそな事くらい、中学生の時に嫌というほど分かりきっている。それでも、ピッチに立って輝けると。この組織だからこそ、ピッチ外でも輝けると。無数の輝き方があるんだと。
そのためには、絶対に考動を止めてはならない。どうしたら自分なりのなりたい輝きに近づけるのか、常にベクトルを向け続けなくてはならない。
「風くんにできるんだから、俺にもこんな輝き方ができる」と。
誰かの原動力になれるように。
もう1つ、長期的な上智大学体育会サッカー部の発展・成長に関した「文化」形成という幹部らしい目標もあるが、そちらはHPの幹部挨拶にも記載したので、割愛する。
最後に、先日こんな出来事があった。
部員と集まる事があり、どんな成り行きだったか1人ずつ部活に対する自分の想いを話す流れになった。自分の在り方に悩んでる奴、本気で試合に出たい奴、自分の代が不安な奴、一生懸命やっている人を馬鹿にする雰囲気が許せない奴など。普段部員との付き合いが悪そうな奴さえもが、チームへの想いや自分の想いを熱く語っていた。
だから自分も熱弁した。
赤裸々に正直にこれまでの想いを、今の想いを。少し恥ずかしいが、涙する仲間もいて何かが響いたのかなとも思った。
普段は皆それぞれキャラもあるし、中々本音を言えない人もいる。男臭すぎるエピソードだが、でもきっと、
皆本当に色んな想いを胸に秘めて日々活動していると思う。
彼らだけでなく、皆全員サッカーが好きで、このチームが好きで本気だからこそ、きっとそこに無数の想いがある。
当然の事かもしれないが、こんな出来事を通すと当たり前な事も大切に尊く感じられるし、それを再確認させてくれた。
人の想いや背中に突き動かされ、頑張りたい理由がまた1つでき、またそれを見た誰かの想いが原動力になる。そんな想いの伝染が活力となって、2部優勝や成長・発展した組織に半年後なっていたら最高だと思う。
p.s.毎度書きたい事が多すぎて熱く長くなってしまうので、論理的に響く文章の書き方を誰か教えて下さい。
次のブログは、物静かなキャラかと思いきや学年会で大熱唱をかますと噂の平川雅憲です!