うつ病と僕(7)
仕事の量はあまり変わらず
身体が悲鳴をあげていた
ごまかしながやっていたがだんだん
心が壊れて来てサボりがちになりそして
現場カントクになるにしても勉強しなきゃいけなくて僕の場合算数から始めないとヤバそうだったので諦めて
人を使うのも下手くそなので無理だと思い辞めることにし
そして、丁度その年に、東日本大地震があり、オーム真理教の事件があって世界は終わると、思ってたのです。
僕は、テレビの前で、何も出来ずただただ、
涙を流してた
その辺から心が本格的に壊れてきた気がします気晴らしで外に出ても怖くなって
視界が狭まってきて怖くてしかたなくて
だけど自分も病気の事を舐めていた
段々朝起きれなくなってきて友達と遊んでも何もたのしくなくなって皆に合わすのがしんどくなってた
そしてだんだん感情が死んで行った
そして心療内科に行くことになった
そこの病院は、母親が見つけた新聞にコラムを書いている隣の県の病院の女の先生だった
正直言おうこの先生のせいでぼくは鬱をこじらせた
この先生いかにも出来る雰囲気
患者は黙って言うことを聞けと言う高圧な態度親は新聞にコラムを書いている人なので名医だと思ってる
そして僕の事を軽く馬鹿にしていて何を言っても聞いてくれなくただただ薬が増えていきましたそれから10年位2週間に1回怒られに病院に行き家ではまだ治らないとか言われ1番キツかった時期かもしれない
毎日毎日心は壊れそうになりならだけど親は病院さえ行ってれば治ると思って2週間に1回位でまだ良くならないのか?まだ働けないのか?
そして兄には恫喝に近い脅しで
「お前いい加減にせーや!」と言われ
1番追い込まれていた時期で怖いわ辛いわ伝わらないわで何とか正気を保っていたよはその頃から付き合っていた今の嫁のおかげだと思っていますもし彼女が居なかったら多分いや!
多分じゃなく死んでいたと思う
自分で死んでいたと思う
そうここからやっとうつ病とそれに対する偏見との本当の闘いが始まりました
今書いてるだけで少し苦しいです
次はかなり抽象的な文章になるかも知れません
とにかく見えない敵と戦ってますから