水溜まりの日
雨が降っていると思って傘を持って玄関を出たら、もう雨は止んでいた。傘を玄関に戻し、鍵をかけた。階段を降りる途中で空を見た。暗い雲から覗く水色と金色が、何だか大きな水溜まりみたいに浮いていた。
この間受けたバイトの面接は落ちていた。また一から探さないとならない。そして少々お店に行きづらくなってしまったのも悲しい。またいくつか応募して求人サイトを閉じた。出来れば在宅で仕事がしたいが、パソコンスキルが何も無い。体調を崩しやすいことが理由でバイトを辞めてきたし、勤務中に倒れてクビになったこともある。お金を稼がないといけないのに、前途多難だ。
私はADHDでASDなんだそうだ。どちらもグレーゾーン。どれだけ頑張っても出来ないことがある。普通の人みたいに動けないことがある。だから、それがわかったとき、少し安心したのだ。発達障害が分かって何が安心だ、なんて思うかも分からないが、今まで自分が普通の人みたいに動けないのは、頑張っても出来ないのは、自分がダメなやつだからだと思ってきた。出来ないのは、自分が怠けているからだと。努力しないからだと。だけど違った。むしろどれだけ努力しても、治らないものなのだそうだ。自分がダメなやつだからではなく、発達障害があるせいだった。もう治らないものを治そうとして、上手くいかずに苦しまなくてもいい。それがわかったなら、とる行動も変わってくる。出来ないことを受け止めて、普通の人ではなく、私として生きていこう。そう思った。
だがどうだろうか。私は私なりに頑張れているのだろうか。ADHDやASDに甘んじてはいないだろうか。正直、それに甘んじている状況はピンと来ないが、ふと思うのだ。たまに耳にする。ADHDのある弟を持つ友人から、私の母から、話聞いていると、あなたを見ていると、障害に甘えているようにしか見えない、と。そう言われてしまうと、私も分からなくなる。必死で生きているつもりだが、どこかで障害に甘えて、甘んじて生きているのかもしれない。やっぱり私は、ただのダメなやつなのかもしれない。らちのあかない考えが頭の中を行ったり来たりして、やっぱり、答えなんかは出ない。
私の頭の中はいつも、何かしらグルグルしている。状況、環境、感情、直感、一つの物事に対して複数の答えが出る中、どれが自分にとって正しいのかは分からない。分からないまま、時間だけが過ぎていく。今はただ、ゆっくりしたいのかもしれない。もう十分休んだ、ゆっくりした。そう思う。ただ、頭の中がずっと煩かったから、休んだ気がしなかったのかもしれない。雨の日に、ほんの少し窓を開けて深呼吸してみたり、喫茶店に行って本を読んだり、知らない所へ行ってみたり、花を買ったり、キャンバスに絵の具をぶちまけたり、曲を作ってみたり、空にできた水溜まりを見上げてみたり。そういう時間だけで本当は充分だと、最近の私は感じていたりする。
色々言ったけれど、目下は金銭的問題を解決しない事には始まらない。それだけはしっかり考えないと。でも、気持ちは焦らないようにしないとね。
水たまりが溢れたみたいに、金色が周囲の雲に広がっていった。秋桜が映えそうなこの時期の夕焼けが私は好きだ。