それはそれな日
人と違う視点を持つこと。こいう風に言うと聞こえはいいかもしれないが、それは多分後付けで、大体周りには空気が読めないと思われるし、当人は噛み合わないと思う。でもそういう視点が大事なのは確か。だから多分、誰がどうだったから、という風に人からの話で物事を判断するのではなく、あの人はそうだったらしいが、私にとってはどうかを自分の視点で考えて、受け止めることが重要なのかもしれない。
昨日はレッスンの日で、今までにないほどダメ出しを貰った。先生のダメ出しは的確だった。自分が今、あ、やっちゃった、って誤魔化すことも、頭が追いついていかないまま演じていることも、新鮮なやり取りをしたいが故に、頭で考えすぎてしまっていることも、自分でも何となく課題だと思っていたが、何となく流れてきてしまったことが全てバレていた。そうだろうとも思ってはいたが、誤魔化せない。と同時に、とてつもなく感謝した。多分なのだが、教える側になるとある程度の実力がある人は、「まだ微妙なところはあるけど及第点だし大丈夫か」なんて思われて、レッスンとか授業において後回しにされがちだ。自分に実力があると思えるほど自信家にはなれないが、ダメ出しが少なかったり、全くなかったりすると、見てもらえていないんじゃないか、なんて思う。専門学校でも、授業で集中的に注意や沢山ダメ出しを貰った、という記憶はない。大体貰えるのは1つや2つとかだった。だからこそ自分で自分を高めた、という自負はついたが、それはそれだ。だが、昨日のレッスンで沢山ダメ出しを貰った。今まで、自分も、周りも流してきたことを言ってくれたのだ。先生は見てくれている。そして克服すれば良くなると思ってもらえている。多分。絶対に次は良くしてやる。
レッスン終わり。衣装作りをしていて、何人かが手伝ってくれていた。別の作業をしていたので会話の輪に入っていなかったが、なんだかとても盛り上がっていた。聞いてみると、この前記事にも書いた不破のことだった。びっくりするほど盛り上がっていた。不破の中心人物について、私は頭の中で勝手にプロファイリングしたことがあった。観察、考察、推理して自分の中のその人像を確かなものにする。私としては、あぁ、この人面白いな、なんて思って、寝る直前だったのに眠れなくなった。盛り上がっているところに「プロファイリングして眠れなくなった」と言ったら、その人について悪く取られてしまって訂正も出来なかった。「プロファイリングすると、そっちの肩持っちゃうからやめな?」とも言われたが、私としては正直どちらの肩を持つつもりもないし、そこまでの興味もない。ただ何故その行動に至ったのか、というところに興味があっただけだ。何より、確かに問題は多いかもしれないが、私に直接的に被害があった訳でもない。嫌な思いをしなかったわけではないが、自分の中で処理できる程度だ。その人について愚痴を言う動機が私にはない。
専門学校時代、困ったことがあった。よく一緒に帰ったり、寄り道したり、私が散歩にハマると、足を休めてほしいと入浴剤を沢山くれたりなど、良くしてくれた友人がいる。私としては仲のいい人で、普通に友達だった。しかし、別の仲のいい友達から、その子が嫌なことをしてくると伝えられた。しかも、嫌なことをされているのはその1人だけではなかった。最初は疑ったが、話を聞くと心当たりがあることもあった。人に言われてから嫌なところが目につくようになってしまったのもある。LINEのトーク画面とか、証拠のようなものも見た。困ってしまった。私にとってはどちらも友達だ。ただ伝えてくれた友達は本当に参っているようで、私も少しそちらの肩を持ってしまっていた。それからどう接していいのか分からないまま一緒に帰っていると、また別の友達も同じ内容の相談を受けていて私と同じように困っていた。その子と私、そして、入浴剤をくれた友人ととても親しい友達と3人でいる(いつもこの3人ともう1人と入浴剤の子5人で帰る。皆仲良し。)時に、その子が「入浴剤の子がやっぱり浮いてる気がする。どうしよう!」と言ってきた。私は何も言えなかったが、入浴剤の子ととても仲のいい子が「ふーんそうなんだ。」とそれだけ言った。それで私は気づいた。確かに嫌なことをされている子はいるし、ことによっては良くないことだけど、私自身はその子から嫌なことをされた訳でもないし、今まで良くして貰っていた。他の子に嫌なことをしていようが、私にとってはそれが事実なのだ。嫌なことをされている友人の話を聞いたり、できるだけ力になろうと思うことはあっても、一緒になって嫌う必要も理由もない。それはそれ、これはこれなのだ。入浴剤の子ととても仲のいい子の「ふーんそうなんだ。」から、私は私の答えを出せた気がした。
誰かの愚痴を言い合うのは楽しいし、会話をする上でのツールにもなりえる。たまに話に乗ってみて、楽しいと思いつつ、私もどこかでこういう風に言われているのかもしれない、と怖くなる。私も人間だし多分もう誰かには何か言われているとは思うが、基本に戻って、されて嫌なことはしない。ただ、自分がちゃんと嫌な思いをして、自分の中で解決できなくなったときには、誰かには話を聞いて欲しい。わがままだろうか。
こんなに長々と書くつもりはなかったが、それだけ人間関係は難しいってことなのかもしれない。誰かの話と、自分の知っている事実を混合するのは危うい、ということを学んだ。不破のあるときほど、気をつけた方がいいのかもしれないなぁ。