信用の大切さを考える
本日は、キンコン西野さんのオンライン講演会がありました。そこで、今は信用が大事だという話を聞きましたので、ここに書いてみます。
信用が大切な世の中
ずばり、今後どんどんお金の価値は下がっていって、信用の価値が大切になってくる。
西野さんの今回のオンライン講演会は、「お金について」の講演会だった。お金の話で信用と言ったら、借金の話かな?と思う方もいるだろう。
ただ、西野さんが言うお金と信用の関係はそうではない。
ある意味そうなのかもしれないが、信用は直接お金に換えられるっていう話。クラウドファンディングはその一例。
ただ、私もこの事を完璧に分かっている訳ではないので、語らない。
違う観点から「信用」について語ってみたい。
私はオンラインに頼っているよ
オンラインのいいところ、それはタイムラグが少ないところ
現代の、特に日本は大多数の人がインターネットやSNSに触れる環境にある。
インターネットと関係なく行動できている人がいたら、尊敬できる。
少なくとも私はインターネットなしには生活できない。
それはインターネット依存症とかそういう話ではなく、スーパーやコンビニに行って買い物すればインターネットが絡んでくるし、銀行からお金を引き出したらインターネットだ。
難しい言葉遊びをするつもりはないのでさっさと言いたいことを書く。
私は今回のコロナ騒動の中で、情報収集をインターネットに頼って行っていた。
私は現在総務の仕事をしているが、次から次へ目まぐるしく変わる情報をキャッチし続け、それに対応していくには積極的に情報を探すしかないと思い、やっていた。
正式に官公庁から出る情報をきちんと精査し、分からないことは実際に電話等で確認したり、ネット上の解説サイトを確認したりしていた。
そしてテレビで流される、勘違いしてくださいと言わんばかりの情報に日々イライラしていた。
人は、安易な方に流される。公や、元ソースからでてくる小難しい文章よりも、耳障りの良いテレビの言うことを聞いてしまう。
あとは、対立する意見があると、自分が賛成できる方の意見を重視し、そうでない意見には猛烈な反感を抱いたりする。
私もそのような状態になったし、今もその状態になっていると思う。なっていることを認識して、そこを客観的に見つめたり中立的に判断したりする訓練は今後していかないといけないと思っている。
こんな風に、ネットのリテラシーを少しは勉強できてきたし、自分の考え方にメスを入れることができていることは、このコロナのお陰かもしれない。
インターネットと信用
オンラインに頼っている人が、オンラインで頼られるには信用しかないのでは?
話が脱線したが、インターネットで情報収集している時に気づいたことがある。
インターネットで声が大きい人が信用できる訳ではないということ。
世間の人が怖がっているインターネットの世界は、エンターテインメント的な表面の世界で、そこに隠れた世界もある。
エンターテインメント的な世界は、テレビで言えばバラエティーで、みんなが共感したり怒りを覚えたり、笑ったり、見下したりする。
つまり、感情が揺さぶられて流行ったりする、バズったりする。
それは、時には鋭い刃にもなる。
それで死んだ人もいる。それはコミュニティー内かもしれないし、社会的にかもしれないし、実際にかもしれない。
そうでない世界がある。あまり人が目を向けない、でも着実に確実にやっている人がいる。
今回のコロナで言えば、きちんと論文やモデルを発表している方がいた。
私も初めはテレビの申し子でそんな政府に反する意見みたいなものはダメだと捉えていた。
でもそれは正しい姿勢でないと気付いた。感情と事実を切り離すという大切な作業をしていなかった。
感情と事実を切り離して、中立的に見た世界は違ったように感じた。
事実のみが残ると、そこは「信用」こそが、取り入れる価値を高めてくれるのだと感じた。
感情を切り離して、俯瞰的に見えてきているインターネットの世界は、基本的に暗いのかもしれない。
それでもそこには小さな光があって、ぬくもりを感じる世界もある。
今私がそれを感じる世界は「閉じたインターネット」かなと思う。
そこには似たような考えを持った人が集まり、閉じたコミュニティを壊さないようにお互いに思いやり、ただいろんな人とも出会える。
そこはある種の安心感があり、信頼感がある。
「閉じている世界」は「永遠に広がっている世界」よりも肌触りがあり、リアリティがあり、信用ができる。
信用ができる人の意見はきちんと聞こうと思えるし、相手もこちらを信用して丁寧に教えてくれるかもしれない。
オフラインも信用?
オフラインでも信用が大事になってきているのではないか。
オンラインでは、きちんとした態度で臨めば、信用できる情報を発信している人と出会うことができる。
オフラインでもより、信用が大事になってきていると感じることもある。
昔は「お金」や「資産(換金できる)」が信用の証だった。信用はお金や資産で買える。借金の時の担保を取るのがいい例ではないだろうか。
それが今では、「信用」自体の価値が高まってきていて、この構造が逆転しようとしている。もうしているのかもしれない。
まとめ
まとまったような、まとまってないような、自分の感情が多分に入った文章をお読みいただいて、ありがとうございます。
インターネットと接するときは、きちんとした態度で、適切な距離を保って、感情にひきずられ過ぎず、時には笑い、時には泣き……。(#何があった!)
①信用が大切な時代かな?
②インターネットは私にとって必需品(みんなに置いて行かれたくないよー!)
③インターネット疲れと、見えてきた信用のこと
④オフラインでも信用が大事かな?
今の私の思考はこんな感じです。
これから、他のことをインプットしていくとまた変わっていくのかもしれないけれど、今の私はこれが精いっぱいです。
では、また。
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