いつかまたこのバスで
東地区優勝が決まった時。
例えこの先彼等の道が何処で途絶えようとも、最後の1秒まで彼等を応援し続けたい。そして何処で途絶えようとも、今季の彼等を称えたい、心の底からそう思えた。
道は、思いの外早く途絶えた。
正直な話、試合が終わった瞬間は悔しいというよりも茫然としていた。60試合のレギュラーシーズンを終えて、そうしてチャンピオンシップははじまったばかりだと思っていたのに。幕切はあまりにも呆気なかった。同じ相手に二つ負けたら終わり。白黒はっきり結果が出てしまうスポーツの世界って残酷だ。茫然とした後、敗退した実感が湧いてきても、私は悔しいよりももうこのチームのバスケットが観れないという悲しみのほうが大きかった。
バスケットボール自体を今シーズンはじめてしっかり認識したような素人だから、Bリーグが当たり前に毎季移籍があるなんて知らなかった。
チームにも、選手にも、そして私たちファンにも、永遠はない。いつかは終点に着いてしまう。チームの契約には限りがあって、選手生命にも限りがあって、自由に動き回れる時間にも限りがある。
永遠はない。そんなことはずっと前から知っていた。知っていながら、永遠に続いて欲しい、永遠にこのチームのバスケットが観たいと何度も思わせてもらえた。リーグ最高勝率のチームだけれど、最強とか無敵とか他を寄せ付けない言葉からはかけ離れたチームで。泥臭くて、人間味があって、純粋で。理不尽な目に遭っても、悔しい敗北を味わっても、じっとただ我慢強く耐えて前を向く。誰かが怒ったら、必ず誰かが宥めて。誰かが落ち込んだら、必ず誰かが寄り添って。そうやってこのレギュラーシーズンを乗り越えてきた、あたたかでやさしい、人の温度が通った生き物のようなチームだった。
このチームのバスケットボールがもう観られない。その悲しみに胸が張り裂けそうになっていた時、解散した今も心の支えにしているアイドルグループのメンバーの言葉を思い出した。それはそのメンバーが、同い年のメンバーに宛てた手紙だった。
彼はそのアイドルグループを一台のバスに例えて、それまで共に過ごした時間を振り返りこれからもよろしく、とメンバーに対しての気持ちを言葉に書き起こしていた。私はその手紙を、彼等が解散した後に知った。その手紙のおかげで、私は解散した今でも、彼等が過ごした時間は永遠だと思えている。
一部だが、好きなくだりを引用する。
"バスが途中で道を間違えたり、ガス欠になって止まったり、皆でバスを降りて手で押したこともあった。 皆たまにバスをおりていくこともあったけれど、必ずまたバスに戻ってくる。みんな戻ってくるときは、必ず新しい何かを見つけて帰ってきた。それを見るたび、友達がライバルに感じることもあったし、たのもしく感じたりすることもあった。
僕もバスをおりたときは、いろんな友達と出会ったし、いろんなことを教わった。友達は、年とともにかわっていく。でも恋人は別れてしまえば恋人じゃあないけれど、友達は、何年ぶりに会っても、まだ友達でいられる。"
この手紙を思い出した時、悲しみが愛おしさに変わった。彼にとってのアイドルグループがそうだったように、宇都宮ブレックスも私にとっては一台のバスだと思えた。今季のバスはもう終点に着いてしまったから、ここでバスを降りる選手もいるかもしれない。それは選手だけでなく、コーチ陣やファンもいるかもしれない。でも、バスを降りたとしても私たちが同じバスの中で過ごした時間は永遠だ。
一度降りたバスに、また同じ選手が、コーチが、ファンがもう一度乗ってくることだってあるかもしれない。バスケットボールというスポーツをしていなければ、好きにならなければ、出会わなかったたくさんの人たち。
私たちには、同じバスの中で過ごした時間がある。ひとつのシーズンを、選手もチームもファンも一丸になって戦ってきた時間がある。
あの悔しさも、あの喜びも、あの涙も、全部全部私たちだけのものだ。だから違うチームに移籍しても、会場で会わなくなっても、遠い場所に行ってしまっても。あの時間を思い出す瞬間があれば、きっといつだって繋がっていける。永遠はあったのだ、この心の中に確かにあった。
その永遠を胸に、私もこの終点で一度バスを降りた。そして、私はこの終点で気長に次のバスを待とうと思う。今まで乗っていたバスの中での、素晴らしい時間を思い出しながら。新しくやってくる、次の宇都宮ブレックスに乗り込むために。