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[方言の考え方(1)1960年代]

「方言ノイローゼの経験」
標準語で話しましょう」とよびかけていたが、一朝一夕で改まるものではない。
うっかり鹿児島弁で返事して、同僚の笑いものにされる。
すっかり方言ノイローゼにかかってしまった。

「読売新聞」1962年3月20日朝刊7ページ(ヨミタス歴史観) 



「方言に対する認識」

1962年3月ごろの集団就職のシーズンでやってきた方の新聞記事である。
読んでみると当時の「方言」に対する認識をうかがえる。
まず、「標準語で話しましょう」と言った点である。当時の標準語は、地方から来た方々にとっては、難しいものであり、記事には、次のような話があった。

外からかかってきた電話もとらないし、話しかけられても短い返事をするだけだった。「生意気だ」「ぶあいそうだ」

「読売新聞」1962年3月20日朝刊7ページ(ヨミタス歴史観)

[方言を話す人の気持ち]


標準語で話せない自分と方言を話す自分、そして、東京に就職した人たちは
次のような気持ちになっていたと書いてある。

地方に生まれたことをうらみたくなるものだ。

「読売新聞」1962年3月20日朝刊7ページ(ヨミタス歴史観)


ここから、つまり、「集団就職」という時代から、標準語という言葉が出てきて、「方言ノイローゼ」、「方言コンプレックス」となっていたのかもしれない。

[外国人の日本語の発音について]

私は、外国語として日本語を勉強していて、日本語の発音には、人一倍気を使って生きてきた。今もそうではある。そして、「発音」と「個人性」、いわゆる、アイデンティティとの関連を考える必要がある。

[発音教育に関する認識]

どうしても新聞記事の内容と類似した「自分の発音は直すもの」と思っている人が多い。そして、自発的に、強い動機を持って、「発音をよくしたい」と思う人も多いだろう。そして、それに答えるために、教師は、
「一生懸命に直す」ことに集中することとなる。
しかし、それだけでは不十分であるだろう。
これからの発音教育は、必要なのか。必要でないのかを含めて、
どのようにしていくのが未来の教育の在り方であるか、考えていきたい。



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