村人たち・宇宙(SORA)からの産声〜第12章〜『村ではなく宇宙だった』村を駆け巡る衝撃・壮大な物語の幕開け。
あけましておめでとうございます。
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昨年一年は、ほんとうに誰にとっても記憶に残る、激動の一年だったのではないだろうか。村長であるわたしもご多分に漏れず、それを肌で感じていたうちのひとりである。
昨年6月25日から開かれるようになった『朝のTANDEN瞑想会』に参加させていただいている。数回休んでしまいパーフェクトではなかったのが非常に悔しいところではあるが、気が散りやすく物事が続きにくく早起きも元来得意ではない(どちらかと言えば苦手)村長の性質を考えれば、これは奇跡としか言いようがない。それほどたのしくて、必要不可欠な場なのである。
昨年4月に開かれた別の場での飲み会で、なぜか『村をつくる』と宣言していた。
そのときは、例えば誰かと協力してどこか土地を借りてつくるとか、何かそれらしき活動をしているところに所属して、糸口を見つけるのだろうかと思っていた。
それがまさか、じぶんのあたまやおなかのなかに村をつくることになろうとは。
じぶんの思考・感情・感覚に名前を付け、彼らを村人たちと呼び戯れ、こんなブログを書き綴ることになろうとは。
そのときのわたしは、知りもしなかったのであった。
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瞑想会に参加し始めて2週間ほど経った頃だろうか。わたしの脳内にある異変が生じた。
ブログに書いてはいないけれど最初に『エビのおじさん』なる人が登場した。
会ったこともないし見たこともない。
とても楽しそうに漁をしている謎のキャラだった(このときは実写だった。いまの村人たちはアニメっぽい絵やイメージであることが多い)。
そんな話をいくつか、瞑想後の気づきをシェアする際に話していた。
どんな話をしていたときだっただろうか。
あまり詳しくは覚えてはいないが、遥子さんから『○○○(村長の名前)村にはたくさんの住人たちがいるのですね』と優しく微笑みかけてくださったことがとても嬉しかった。
そして、遥子さんとのやり取りのなかで、このブログを開始することを決めた。
これから書くことは9月にブログを書き始めてすぐに気がついていたし、シェアでも話したことがあるけれど、まとめきれずにいたことだ。
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タイトルにもあるように、
実は、村ではかった。
その証拠に、村人たちは、性別を超え、年齢を超え、時空を超えている。
この思考・感覚・感覚は、どこからくるのだろうか。
わたしの体内で行われていることだけれど、わたしが意識して行っているわけではない。
そして何もこれは、わたしに限った話では無い。
わたしの村はたまたまキャラ立ちした濃い村人たちが出てきて時折超絶カオスになってくることがあるだけで、このブログを見てくださっているみなさんのなかにも、誰のなかにも『村人たち』は存在している。
広大無辺な果てしない宇宙で繰り広げられている壮大な物語だったのだ。
けれどいまでも、便宜上『村』と呼んでいる。わかりやすいし、その方がしっくりくる。
小出遥子さんや瞑想会のみなさんと出逢うことができて、村人たちとも出逢う(その存在にはっきりと気づいた)ことができた…。
感謝の気持ちでいっぱいである。
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『生きる』ことそのもの。
呼吸していること自体が、ただここにあるだけで、それ自体がほんとうにほんとうに、奇跡で、奇跡の連続のなかで生かされている。
それに気づかず、邪魔していたのは自分という頭でっかちな存在だった。おなかのなかにいるほんとうのじぶんに身を委ねて、天にすべておまかせしてしまえば、既にそこらじゅうに奇跡は転がっていた。
奇跡の名湯・永久不滅のかけ流し温泉であるTANDEN温泉にどっぷりと浸かりながらよろこびに浸っている。
浸りつつもやることを淡々とやりながら、今年からも奇跡の連続であるいのちを、村人たちとともにたのしみながら、瞑想を続けていきたい。
大ヒット中の『鬼滅の刃』の言葉を借りていうなら『24時間全集中常中』の呼吸でいられるくらい、強くて、やさしくてあたたかくてひろがっていくような感覚でありたい。
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(以下、朝のTANDEN瞑想会・祈りの言葉より抜粋)
すべてのいのちが、豊かさ、健やかさ、安らかさのうちにありますように。
世界全体が、平和のうちにありますように。
宇宙全体が、調和のうちにありますように。
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今年も一年、よろしくお願いいたします。