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ロジャーズの「受容」とブーバーの「確認」——『ブーバー ロジャーズ 対話』を読む

ブーバー:私が申したいのは、すべての、二人の人間の間の真の、いわば実存的な関係というものは、受容から始まるということです。受容には——私が言う意味での「受容」ですが——おそらく、二つの概念があって、それは全く同じではないと思います——、「受容」の意味は、それを私が他者に言葉で伝えることができるにせよ、あるいはむしろ、言葉で伝えることができずに、ただ感じさせることしかできないにせよ、私はその人をまさにありのままに受け容れるということです。私はあなたをまさにありのままに受け取っている、ということです。それはそれでよいのですが、しかしそれはまだ、「他者を確認する(confirm)」ということで私が言おうとしているものではありません。なぜなら、受容することは、ただその瞬間においてだけ、すなわち他者の、現状においてだけ、他者を受け容れることだからです。確認するとは、何よりもまず、他者の可能性全体を受け容れることを意味し、そして他者の可能性について決定的な特徴を見つけ、ほかとの相違を際立たせることを意味します。——そしてここでは、もちろん、われわれは、その中でくり返し判断を誤るかもしれませんが、確認は、まさに人間と人間のあいだに与えられた絶好の機会なのです。およそ彼の中に認められうるもの、知られうるもの、それは、多かれ少なかれ——私はそれをこういう形でしか言うことができないのですが——、生成するように創造されている人格なのです。

ブーバー, ロジャーズ, ロブ・アンダーソン『ブーバー ロジャーズ 対話―解説つき新版』春秋社, 2007. p.192-194.

本書は、1957年にミシガン大学で行われたブーバー記念討論会での哲学者マルティン・ブーバーと心理学者カール・ロジャーズの対話の記録である。ブーバー79歳、ロジャーズ55歳のときである。

マルティン・ブーバー(Martin Buber, 1878 - 1965)は、オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。フランクフルト大学で教職に就く。1933年ナチス政権下、フランクフルト大学の教授職を辞す。1938年パレスチナに移住。ヘブライ大学教授に就任。彼の「我―汝」の思想は哲学のみならず宗教学・社会学・教育学・心理学などの広い領域で世界的に影響を与えている。主著『我と汝』『対話』のほか多数の著作がある。

カール・R・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers, 1902 - 1987)は、アメリカ合衆国の臨床心理学者。クライエント中心療法(Client-Centered Therapy)を創始した。1931年にコロンビア大学で博士号取得。オハイオ州立大学教授に就任。その後、シカゴ大学、ウィスコンシン大学などに勤務。クライエント中心療法の中で見出された理念と方法は、臨床心理学のみならず人間の成長に関わる教育・医療などの領域にも多大の影響を与えている。主著『クライエント中心療法』『人間の生成』のほか多数の著作がある。

引用した文章は、ロジャーズの実践経験の中から得られた最重要概念である「受容(acceptance)」をめぐって、ブーバーが自身の意見を述べている場面である。ロジャーズは、受容について、それは他者への温かい配慮や個人性の尊重であり、その人が無条件に価値ある人間であることの尊重であると述べる。その受容があるとき、真の意味で人間は人間に出会うことができるのであり、われわれが出会うことができたとき、そこに援助が生ずるのだが、それは一つの副産物にすぎないとロジャーズは述べる。

一方、ブーバーはそれとは少し異なった観点から話を展開する。「受容」が大事なのはもっともであるけれども、受容は人間と人間のあいだの実存的な関係の始まりにすぎないと。むしろ「他者を確認する(confirm)」ということがより本質的なことではないかと言うのである。受容するというのは、他者をただその瞬間において受け容れるということである。しかし「確認」するとは、他者の可能性全体を受け容れることである。そして、他者の可能性について決定的な特徴を見つけ、ほかとの相違を際立たせることを意味する、とブーバーは強調する。

ブーバーは人が他者を「確認」するとき、それは他者と真の意味で出会うための絶好の機会なのであり、そのとき確認されるものとは、「生成するように創造されている人格」なのだという。それは、他者をありのままに受容するだけではなく、まず私自身の中で、やがて彼の中でも、彼に予定されている可能性が確認され、次にその可能性が開発され、展開され、現実の生活に活かされることになるとブーバーは言う。援助という行為は、こうした領域にまで達することができるものであり、確認には、受容よりもさらに深い目標があるという。

ブーバーは言う。「ぼくは君をあるがままに受容しているよ」と言うとき、その本当の意味は、「ぼくは君の中に、まさにぼくの受容的な愛によって、君が生成するべく予定されているものを、ぼくは、君の中に見つけているよ」ということなのだと。



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