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日常に混在する「非日常」——カフカ『審判』を読む

「動くな」
窓辺の男は本を小卓に放り投げると、立ち上がった。
「動いてはならん。きみは逮捕されている」
「どうやら、そのようだ」
と、Kは言った。
「どんな罪で?」
「われわれは関知しない。部屋にもどって待つんだな。手続きがはじまったばかりだ。しかるべきときに知らされるだろう。こんなに親切にするのは役目に反するのだがね。幸いにもフランツ以外にいないし、フランツも規則に反してきみには親切だ。これからもこんな監視人とめぐり会えたら、安心していられようさ」

フランツ・カフカ『審判』池内紀訳, 白水Uブックス, 白水社, 2006. p.9-10.

フランツ・カフカ(Franz Kafka、1883 - 1924)は、現在のチェコ出身の小説家。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆した。どこかユーモラスな孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した。生前は『変身』など数冊の著書がごく限られた範囲で知られるのみだったが、死後中絶された長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が友人マックス・ブロートによって発表されて再発見・再評価をうけ、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

『審判』はカフカを代表する長編小説の一つである。銀行員ヨーゼフ・Kは、ある日、突然逮捕される。彼には何ひとつ悪いことをした覚えはない。いかなる理由による逮捕なのか。その理由をつきとめようとするが、確かなことは何ひとつ明らかにならない。不条理にみちた現代社会に生きる孤独と不安をいちはやく描いた作品である。

カフカの小説にはこのように突然、わけもわからず理不尽な出来事が主人公に襲いかかるものが多い。『変身』では、ある朝、男は毒虫に変身した自分を発見する。理由は最後までわからない。そして、家族は自分に対して冷酷になり、馴染み深かった世界は永久に変貌してしまう⋯⋯。『城』では、ある城の何者かに命令を受けた測量技師が、その城に入ろうとするが、永久にその城に入ることさえできない。自分に命令をくだした雇い主の正体さえわからない。そして迷宮のような物語が続いていく。この作品は未完である。しかし、カフカの小説はすべてがある意味「未完」の物語であるとさえ言えるだろう。

生前に本として出版された『変身』と違い、『審判』も実は未完の小説である。生前には発刊されず、カフカの死の翌年、友人マックス・ブロートがノートを整理して本にした。カフカが『審判』を書きはじめたのは1914年8月11日。そして1ヶ月の間に、全体の三分の二ちかくを書き上げた。しかしその後、執筆が進まなくなる。11月に入ると「惨めな匍匐前進」といった様相になる。年が明けて1915年1月、最終的に執筆を放棄した。中絶ののち、カフカは何度か、書き上げている章を友人たちに朗読した。ブロートは発表を勧めたが、カフカは承知しなかった。

『審判』の中の一節、「中途半端のままにしておけないのだ。中途半端は仕事においてのことだけでなく、何ごとであれバカげている」という表現は、そのままカフカ自身というものだ。小説を「中途半端」にしないため、もっともらしい理由を職場に申し立てて休暇をとった。しかしこの小説は完成しなかった。物語のプロセスが、小説の書き手のプロセスでもある。ついでにいえば、『審判』の原題のドイツ語「プロツェス(Der Prozeß)」は、英語の「プロセス(process)」であって、「訴訟」とともに「過程」をも意味している。

「とびきり深刻で、とびきりおかしな小説である」、と訳者の池内紀氏は書いている。「逮捕」でもってはじまったが、その日も、また以後も、主人公はいつものように勤めに出て、ふだんの生活をつづけている。ちなみに『変身』の主人公も、毒虫に変身してしまった自分を発見した後も、いつもの職場にどうやって行けるか、遅刻してしまわないか、上司にどのように言い訳するのかということばかりを考える。日常と非日常が混在し、完全なる非日常の世界には移行できない物語がそこにはある。それはおそらく、カフカにとって「生きる」ことそのものが、非日常の世界を生きるような、違和感に満ち溢れた毎日だったからではないか。それは現代において、さまざまな「生きづらさ」を抱えて生きる人びとにも通底する感覚なのであり、だからこそこの作家がいまだに世界中で読まれる理由なのだろと思う。


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