カネッティが生涯をかけて追求した「群衆と狂気」——エリアス・カネッティ『眩暈』を読む
エリアス・カネッティ(Elias Canetti, 1905 - 1994)は、ブルガリア出身のユダヤ人作家、思想家。カネッティの『もう一つの審判——カフカの『フェリーツェへの手紙』』に関する過去記事も参照のこと。
本書『眩暈』はカネッティが20代のときに書かれた小説であり、初版は1935年。当初は文壇において黙殺されていたが、1960年代に再評価され、その後、ローベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッホと並び、20世紀ドイツ語文学の代表作とされた。
本書に関するカネッティみずからの証言を紹介する。「ほぼ3年間、わたしはフランクフルトの実業学校に学んだ。それは1921年より24年にわたる戦後ドイツの大インフレーションの時、騒乱の時代であった。街頭で飢えのあまり崩れ折れる老婆を見た。ラーテナウ暗殺事件の後、最初の大々的デモンストレーションに遭遇した。以来、群衆のイメージがわたしの脳裏に焼きついた。群衆のあるところ、常にわたしはその背後(しりえ)に従いた。⋯⋯1924年、わたしはウィーン大学に移った。夜、書くことに没頭した。ある日、街路で群衆に関する作品に思いを定めた。わたしは20歳を越えたばかりであった。啓示と思えた。おのが生涯を群衆の究明に献げようと決意した。⋯⋯小説『眩暈』は群衆に囚われたことの最初の熱狂時代の産物である。極端に孤立した人間、一人の中国学者の物語だ。その存在の、とどめようのない不安定が次第次第に露呈するであろう。群衆に係わる数多の象徴がこの書の中に——けだし偶然にと言いたいほどに——記しとめられているであろう」
『眩暈』は元来、「狂人にまつわる人間喜劇」連作の一部として想定されたものだったという。『眩暈』のあらすじは以下の通りである。
有能な東洋学者ペーター・キーンは、おのれの莫大な蔵書のみをこよなく愛し、人間とはできるかぎり関わらない生活を送っている。万巻の書物に埋もれ、孟子や孔子の言葉を暗誦するその姿は、隠遁した仙人を思わせる。巨大な書庫は「完成された世界」として閉じており、キーンは自分の世界で孤独に、しかし幸福に時を過ごしていた。しかし、すさまじい誤解の果てに、20歳も年上の家政婦テレーゼと結婚してしまったことにより、キーンの世界は決定的に破壊され、狂気への墜落、理性の潰走が始まる⋯⋯(ふくろうさんのはてなブログより引用)。
カネッティの証言通り、彼が生涯をかけて追求したのは群衆の「狂気」であった。本書『眩暈』もそうした「狂気」を描いた小説である。登場する人物は誰もある種の狂気をかかえている。あまねく人は心の中に群衆=狂気をはらんでいる。この世界において、人々は狂気のうちに群れ、群衆のルールに盲目的に従い、そしてその狂気が自己増殖的に膨れ上がっていくのである。その意味で、本書はカネッティの代表作『群衆と権力』(1960年)と合わせて読むべき小説である。『群衆と権力』が群集心理の狂気に関する研究の結実した書とすれば、『眩暈』はそれよりずっと早い時期に書かれた群衆と狂気に関するカネッティ流の文学的表現の結実したものだと言えるだろう。