人生とは悲劇のような喜劇である——チェーホフ『かもめ』を読む
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов, Anton Pavlovich Chekhov、1860 - 1904)は、ロシアを代表する劇作家であり、多くの短編を遺した小説家である。16歳のとき実家が破産、モスクワ大学医学部に学び医師となるが、学生時代からユーモア短編を大量に書いて一家を養い、やがて本格的な作家として高い評価を受けるようになった。90年には結核の身をおしてサハリン島におもむき、住民調査を行う。99年夏にはクリミア半島のヤルタへ転居。1901年、モスクワ芸術座の女優オリガ・クニッペルと結婚。その3年後、転地療養先のドイツ・バーデンワイラーで亡くなった。享年44歳。短い生涯に数百の短編と18の戯曲を執筆した。『かもめ』『三人姉妹』『桜の園』などの戯曲はいまでも世界中で上演されている。
『かもめ』には多くの男女が登場し、彼らの恋愛の連鎖はほとんどが片思いになっており、その恋愛がどれも成就することがない。こう書くといかにも悲劇のように思えるが、読んでいて可笑しみやユーモアがただよい、どの登場人物も愛すべき友人のように思えてくる。一種の喜劇である。
チェーホフ自身は後期四大戯曲のうち、『かもめ』と『桜の園』を自ら「喜劇」と呼んでいる。チェーホフ自身による「喜劇」というジャンル規定は、当時から人々を当惑させたという。例えば、『三人姉妹』の台本の朗読を聞いた俳優たちが感激して泣き出したのを見て、チェーホフは自分の作品が「陽気な喜劇」としてきちんと理解されなかったと考え、いたく不満だったという。普通だったら悲劇にしかならないものを喜劇にできるというところに、チェーホフのすごさがあるということは、なかなか理解されなかったようである。
チェーホフ戯曲の登場人物たちは、自己完結せず、どこか中途半端な「生身の人間」たちである。それはカエルやコオロギの実音とともにリアルに描くと悲しいものになるかもしれないが、チェーホフはそういう人間たちが生きる世界は本質的に喜劇でしかないことをよく知っていた。その世界は現代のわれわれにまでつながってくる、と訳者の沼野充義氏は書いている。
この戯曲の斬新さを示す特徴の一つが「かもめ」のイメージをシンボリックに全編にわたって使っているということだ。撃ち殺されたかもめが、遊び半分の男(トリゴーリン)にだまされ、破滅の道を歩むことになる若い娘(ニーナ)の人生の象徴になっている。そして、ニーナは「わたしはかもめ」と何度も繰り返すことになるのだ。
物語のプロットだけをおうといかにも悲劇のように思えてくるものが、実際に登場人物たちとともにその物語の世界を生きてみると、喜劇のように可笑しみを伴っているというのが不思議なところである。しかし喜劇だからといってリアルさに欠けるということは全くなく、逆にどの登場人物も私たちのすぐ側にいるようなリアリティをもっている。そして、私もいつか、空をとぶかもめに憧れつつ、死んだかもめや剥製になったかもめになるかもしれないという人生の真実を描いているようでもある。人生とは悲劇のような喜劇である、ということをチェーホフは見事に描いているように思われるのである。