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ダーウィンが使った「生存競争」の本当の意味とは——ダーウィン『種の起源』を読む
われわれが見ているのは、歓喜に光り輝く自然の表側だけだ。鳥はその大半が虫や種子を主食とするため、さえずりながらもたえず生命を奪っているということを、われわれは忘れている、あるいは目を向けようとしない。また、どれほど多くの小鳥やその卵、ヒナが猛禽類や肉食獣の餌食になっているかということも忘れている。また、今は食べ物が豊富だとしても、一年中そうではないことに思いがいたらない。(中略)
「生存競争」という言葉を、私は広い意味で使っている。二頭の飢えたオオカミが食べ物をえて生き残るために、面と向かって争うことも生存競争だろう。しかし、砂漠のはずれに生えている一本の植物も、その命は水にかかっているという意味で日照りと戦っている。(中略)しかも、生存競争は、個々の生物が生きのびるための争いだけを意味しない。もっとも重要なのは子孫を残す、そのことなのである。
『種の起源』(On the Origin of Species)は、イギリスの地質学者で生物学者のチャールズ・ダーウィンによって1859年11月24日に出版された進化論についての書籍である。ダーウィンは、『種の起源』の中で、evolution(進化)ではなく、descent with modification (変化を伴った由来)という用語を使っている。進化という意味で evolution を用いたのはハーバート・スペンサーであり、ダーウィンも第6版で用いている。
彼は自然選択によって、生物は常に環境に適応するように変化し、種が分岐して多様な種が生じると主張した。そしてこの過程を「生存競争」、「適者生存」(第5版以降)などのフレーズを用いて説明した。
しかし「生存競争」とは、私たちがイメージするような「二頭の飢えたオオカミが食べ物をえて生き残るため」の争いだけに限らないとダーウィンは言う。ダーウィンの意味する「生存競争」はもっと広いものである。例えば「砂漠のはずれに生えている一本の植物」が水を求めて日照りとたたかっているのも生存競争である。あるいは毎年1000粒の種子をつける植物も、自分の種子を芽吹かせるために地面のどこかを奪う必要があるという意味で「生存競争」をしている。つまり、ダーウィンの意味する「生存競争」とは、限られた資源をめぐっての個体同士の生き残りをかけた闘いであるとともに、それ以上に重要な意味として種が集団として行っている「子孫を残すための闘い」であるというのだ。
この生存競争という過程が存在し、より環境に適した遺伝子をもった個体が生き残っていく現象をダーウィンは「自然選択」と呼んだ。自然選択(自然淘汰)とは、「(1)生物がもつ性質は個体間に違いがあり、(2)その一部は親から子に伝えられ、(3)環境収容力が繁殖力よりも小さいため生まれた子の一部しか生存・繁殖できない。性質の違いに応じて次世代に子を残す平均的能力に差が生じるので、有利な個体が持つ性質が維持・拡散するというメカニズム」のことを指していた。
1859年、ダーウィンは『種の起源』によって世界を変えた。当時は科学者を含めて大半の人々が、生物は神により創造されたものであり、未来永劫変化することはないと固く信じていた。しかし、ダーウィンは論理的思考の積み重ねと客観的な事実により、生物は進化の結果もたらされたものであると主張して、宗教から科学を解放したのだ。