こじんまりしたコミュニティ
今日とある対談イベントで
「これからの時代に私たちはどう社会や地域と付き合っていけばいいのでしょうか?」
という質問が来た。
正直、とてつもない質問をさらりとぶっ込んできたなと。
コミュニティとの付き合い方は、すごく難しい。
ここでいうコミュニティには、家族、隣近所、職場、居住環境や社会制度までが含まれる。
とっさに考えた僕の答えは
「こじんまりしたコミュニティを自分たちで作っていくことなんじゃないか」
という答えだった。
うん、たぶんそうだ。
もう、大きな組織や会社に入れば幸せという時代ではない。むしろ、組織の歯車となり自己実現できない人も多いのではないか。
隣近所の付き合いも互助が少なくなっている中、孤立した人が増えている。かと言って強すぎる結びつきは監視されているようで息苦しい。
家族という小さな社会を考えてみても、対話の少ない家族であれば、お互いの価値観のずれが広がるばかりになってはいないか。スマホやSNS、テレビなど、無為で浅薄なものばかりに、家族の絆が邪魔されてはいやしないか。
それならば、小さなこじんまりしたコミュニティを自ら作っていくのだ。
僕の場合、地域で多様な人々とのフラットな対話が出来るようなさまざまな活動を通じて、僕なりのコミュニティが出来ていたように思う。
本当の家族ではなくても、それは一種の家族のようなコミュニティではなかったか。
僕はそこで、一個人としての孫大輔、あるいは「そんそん」(とそこでは呼ばれている)となり、肩書も、職業も関係なく、こじんまりと、楽しく、ひそやかにいろんな人との交流をはかっていたのだ。
こじんまりしたコミュニティがなぜ必要か。
それは、すべての人は、自分が尊厳ある一人の人間として尊重されたいからなのだろう。
こじんまりしたコミュニティとは、自分が素の自分に戻れ、生き生きとし、その数限られた人々と心を通い合わせ、丁寧に対話したり、協働したりできるコミュニティなのである。
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