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戦犯受刑者の死生観の4つの型——作田啓一『価値の社会学』より
残された課題の一つは、死に意味を付与するこれらの四つのどれかを人びとが選んださい、彼らはその型にどの程度までコミットしているか、ということである。カルチュアとしての行動様式の「まったく受動的な採用(acceptance)」と内面的なcommitmentとのあいだには多くの段階がある。選択された型へのコミットメントの程度は、人によってさまざまに異なるだろう。たとえば、「海ゆかば」を歌い、天皇陛下万歳を唱えて消えていった「いけにえ」型や「いしずえ」型の人たちは、その死に方をどれくらい納得していただろうか。第一節で述べたように、この問題の心理学的な取扱いは資料の点で不可能であるし、またわれわれの課題でもない。しかし、家族の者を苦しめたくないという強い配慮が働いているにせよ、じつに多くの人たちが、天皇、国家、民族、部下のために、あるいは運命に従って、「笑って死んでゆく」と書き記しているのは、まことに驚くべきことである。ある意味では、重要な問題は、彼らが語ったことよりも、語ろうとして語り切れなかったことに潜んでいる。
作田 啓一(さくた けいいち、1922 - 2016)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一の長男。妻は作家の折目博子。
『恥の文化再考』(1967年)では、戦後の日本で広く受け容れられたルース・ベネディクトの「西欧社会は罪の文化、日本社会は恥の文化」という比較論に対し、稲作による地域共同体や幕藩体制以降の社会構造の特色から、日本人には外部の視線を気にする「恥」だけでなく、弱さの自覚から生まれる内面的な「羞恥」という特性があるとして、西欧的価値観に立った分析に反論し脚光を浴びた。一方、今回紹介した本書『価値の社会学』(1972年)では、人間の社会的行動は実利の次元だけでなく価値(理念)の次元においてもとらえうるとし、その後の社会学の方向を決定づけた。
本書『価値の社会学』にはさまざまな論考が収められているが、引用したのは「戦犯受刑者の死生観」という論考である。戦後、約5500名の日本人が、平和に対する罪、通常の戦争犯罪、人道に対する罪のいずれかにより連合国側によって裁かれた。そのうち約700名の遺文を社会学的に分析したのが本論考である。これら遺文には迫りくる刑死の運命に対しての痛ましい格闘のほかに、その意味を何に求めればよいかに関しての苦渋に満ちた模索の跡が伺われる。
ドラスティックな価値剥奪(deprivation)の状況においては、その苦痛がなにゆえに受け入れられなければならないかという「意味の問題」が生起せざるをえない。そこにおいて人は因果律のレベルではなく意味のレベルでの「原因」を求めるものである。意味の追求は過去に向かってだけではなく、未来に向かっても行われうる。すなわち「この苦痛は何のために必要であるか」という形の問いである。作田の分析は、701名の遺文を対象として彼らの死生観を明らかにするという目的のもとに行われた。これらは便箋、包装紙、トイレットペーパー、タバコの巻紙など紙以外に、シャツ、ハンカチーフ、板などに書かれたもの、鉛筆やペン書以外に血書のものも含まれている。
作田は戦犯受刑者の死生観を遺文から分析して四つの型に分類する。それらは「自然死」型、「いけにえ」型、「いしずえ」型、「贖罪」型である。
「自然死」型は、刑死を避けがたい運命として受け入れ、刑死という人為的な死を自然死のように普遍性のもとに受け入れるというものである。BC級戦犯の手記の中には、自分を吉田松陰にたとえているケースが数多く見出されるという。ここには、すでになすべきことは十分に果たしたという含みがある。役割は十分に選択し、勝ち取ったものであるというよりも、むしろ多かれ少なかれ運命によって課せられたものであるという考えである。
「いけにえ」型の死生観は、国民や国家のため、あるいは部下や上官のための死という考えである。国民や国家のための死は、その象徴としての天皇のための死というものとも結びつく。たんなる一個人としての死ではなく、情勢のおもむくところによって、選ばれた日本人の代表としての死を受け入れるという考えである。多くの遺文には、国家あるいは天皇に対する御奉公としての死という考えが表れている。
「いしずえ」型の死生観は、自らの死が未来の日本のために、つまり未来の集団目標達成のために不可欠のものであるという考えである。刑死は避けられないものであるとしても、死者の役割が主体的に選択される。それは世界宗教の場合の殉教者の役割にも似通っている。ある海軍大尉の場合は、自己の死をポツダム宣言に結びつけて法律的に納得するという感情的にニュートラルな態度を示し、感情の抑制を媒介として普遍主義へと接近する例を示している。
「贖罪」型の死生観は、自らの何らかの罪を認め、この罪の正当な結果として罰を受け入れることによって、刑死を納得するという考えである。「道徳的な罪」以外にも、K・ヤスパースのいう「形而上の罪」というものもある。ドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフが認めた罪が「形而上の罪」であった。人間と人間のあいだには道徳の次元を超えた連帯があり、それに対する罪を認めたときにラスコーリニコフに初めて安らぎが訪れる。戦犯受刑者の場合、何に対して責任を負うべきかという責任の対象にはバラエティがあり、占領当時の原住民、自国民、抽象的な存在である人道(humanity)、それから神である。
作田は701件の遺文のうち、674件をこの四つの型に分類する試みを行っている。その結果、多い順に挙げると「いけにえ」型(181件)、「自然死」型(99件)、「いしずえ」型(30件)、「贖罪」型(29件)となる。分類不能が335件であった。この数の多少についても、作田は社会学的な分析を本書において試みている。さらに残された課題として、死に意味を付与するこれら4つのどれかを人びとが選んだ際、彼らはその型にどの程度までコミットしていたかという問題がある、と作田はいう。例えば「いけにえ」型や「いしずえ」型の人たちは、その死に方を納得していたのだろうか。遺族を苦しめたくないという思いがあるにせよ、多くの者が「笑って死んでゆく」と書いているのは驚くべきことである。彼らが語ったことよりも、語ろうとして語りきれなかったことのほうに真実があるのではないか。そのように作田は書きながらも、社会学の分析ではそれ以上のことを追求することができない残念さがにじみ出ているように思われるのである。