ユダヤ神秘主義における「デベクース」とは——ショーレム『ユダヤ神秘主義』を読む
ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム(Gershom Gerhard Scholem, 1897 - 1982)は、ドイツ生まれのイスラエルの思想家。ユダヤ神秘主義(カバラー)の世界的権威で、ヘブライ大学教授を務めた。1968年にはイスラエル文理学士院の院長に選ばれた。ベルリン大学に入学し、数学と哲学とヘブライ語を専攻。大学では、マルティン・ブーバーやヴァルター・ベンヤミンらと知り合った。1919年にミュンヘン大学でセム語研究で学位を取得。博士論文のテーマは、最古のカバラ文献についてであった。シオニズムに傾倒し、友人ブーバーの影響もあって、1923年に英領パレスチナへ移住。その後は彼はユダヤ神秘主義の研究に没頭する。1933年にはヘブライ大学のユダヤ神秘主義講座の初代教授に就任、1965年に名誉教授となるまでこの地位にあった。カール・グスタフ・ユングらが関わった「エラノス会議」にも参加した。
本書『ユダヤ神秘主義』は1941年に初版が出ており、ショーレムの主著と言えるものである。ユダヤ神秘主義、特にカバラーについて詳細な分析を行った金字塔的研究である。カバラー(カバラ)とは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想。ユダヤのラビたちによる、キリスト教でいうところの(『旧約聖書』の伝統的、神秘的解釈による)神智学であり、中世後期、ルネサンスのキリスト教神学者に強い影響をおよぼした。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。
本書において、ショーレムは「デベクース」(debekuth)という概念を紹介している。デベクースとは「献身」、「神との癒着」の意味である。神との親密性を示す、ユダヤ人の概念である。ユダヤ人の祈りにより達成された深い、トランス状態による瞑想的なものを意味する、とされていた。しかしショーレムはこれに新しい解釈を加える。
ショーレムによれば、デベクースとはゾーハル(スペインのカバラー)がその倫理の中心に据える最高の宗教的価値であり、神との変わらぬ結びつきないしは直接的関係である。しかしながら、デベクースとはトランス状態のような魂の異常な状態を前提とするものではないという。それどころか、それは個々人の共同体内部での通常の生活においても実現しうるものなのである。したがって、それは社会的価値に転換できるものであり、その意味でカバラーが民衆的な倫理に影響を及ぼすようになった基盤であもるとショーレムは言う。
そもそもショーレムは、ユダヤ教学の高尚な学問的価値を究めようとする姿勢とは真逆の、「生きたユダヤ民族全体の魂の真実」を理解しようと努めてカバラー研究に没頭していった。その結果、ショーレムはカバラーの中に本質的な高い水準を感じ、「私たち自身の最も人間的な経験に触れずにはいない関係領域がここには存在する」と感じるようになる。
またショーレムは、カバラーがヨーロッパの精神史に与えた強烈な影響力についても繰り返し力説している。例えば、そこで挙げられている名前は、ヤーコブ・ベーメ、スピノザ、ライプニッツ、シェリング、ミルトン、ブレイクなどである。また、『初稿ファウスト』を執筆中の若きゲーテの座右にもカバラーの書が置かれていたという。