近代外科学の父、ジョン・ハンターのこと
ジョン・ハンター(John Hunter、1728 - 1793)は、イギリスの解剖学者、外科医である。「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれ、近代医学の発展に貢献した。その一方、解剖教室で使用する死体を非合法な手段も辞さずに調達する裏の顔を持ち、レスター・スクウェアの家は『ジキル博士とハイド氏』の邸宅のモデルになった。
彼が近代医学の発展に為した功績は決して小さくない。18世紀の医学は、まだ科学的医学の前の時代であり、瀉血や浣腸、水銀注射などが治療として行われていた。ハンターは現代の医学では当たり前である、観察と推論や実験にもとづく科学的な医療を行った第一人者だ。彼は多くの解剖学標本を蒐集し、解剖学と生理学に基づく医療を行った。それはときに、当時の「標準的な」治療からは外れたものであったため、異端視されることも多かったようだ。例えば、彼は救急蘇生法に関して、すばやく対応し気道確保につとめ、人工呼吸をするべきという提言をした。また、世界初と思われる電気ショックによる蘇生も試みている。これらは、現代の標準的な救急蘇生法の考え方とほぼ同じである。
彼の「解剖学講義」は当時の医師たちにとって革命的な内容だったようだ。解剖学・生理学など近代医学の黎明期に、彼は解剖学の知識を活かして論文をかきつつ、外科医としても多くの患者の命を救った。当時、馬車の御者の職業病であった膝窩動脈瘤(膝裏に巨大な動脈の瘤ができる病気)に対しては、足を切断するなど死亡率の高い外科治療しか行われていなかった。しかし、ハンターは解剖学の知識に基づき、患部より中枢側で大腿動脈を縛り、側副血行路(迂回路)を発達させることで動脈瘤を小さくするという画期的な手術を始めた。これにより膝窩動脈瘤の外科治療は、より安全なものになった。この手術は「ハンター手術」と呼ばれ、彼がメスをふるった箇所である内転筋管は「ハンター管」と呼ばれることになった。
彼は、この「ハンター手術」の偉業一つをとっても医学界の権威者となるにふさわしい人物であったのだが、名誉や地位には興味がなかった。彼は出世のために何かをしたことはなく、そのような野心を書き残したこともなく、ただひたすら日々の実験に打ち込んでいた。ハンターは、聖ジョージ病院の常勤外科医となり、自宅で解剖学講座を開き、患者の治療と医師たちの教育にも励んだが、基本的には在野の医師であり続けた。そしてハンターが、患者に対して常に公平であり続けたことがわかるエピソードが冒頭の引用である。地位が高い者や金持ちの治療を優先させるのが世の常であった中で、ハンターは治療の優先順位として社会的地位を考慮しなかった。むしろ、金持ちよりも「忙しい」庶民の治療のほうを優先させていた節もある。そして、治療費も患者の貧富に合わせて無料だったり、格安にしたりといったことが多かったようだ。
手塚治虫の漫画「ブラックジャック」の主人公も、同じように治療の優先順位に、社会的地位を考慮しないという話がある。ブラックジャックの場合は重症の患者から救うという絶対のルールがあり、なんと人間の治療よりも猫の治療を優先してしまうのだが。また、金持ちからは多く、貧しいものからは少なく治療費をもらうというのも、ハンターとブラックジャックの共通点だ。ハンターは基本的には外科医だったが、内科医としても無理な介入をせず自然治癒に任せることを基本にするなど、専門分野に留まらない幅広い活躍をしている。こうしたジェネラリストとしての側面も、ブラックジャックに通じるところだ。まさに、18世紀に実在したブラックジャックといえるだろう。
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