一番大切なことは単に生きることではなく、善く生きること——プラトンの『クリトン』を読む
『クリトン』は、プラトンの初期対話篇の一つであり、『ソクラテスの弁明』の続編。そこに登場する人物名でもある。副題は「行動(実践・義務)について」。ソクラテスがアテナイの裁判で死刑を宣告され、翌日に刑の執行が迫る前夜の話である。クリトンはソクラテスの幼き頃からの親友であり、クリトンはソクラテスにここから逃げるように説得しようとする。しかし、「法の命ずるところに背いて逃げ出すのは正しくないし、するべきではない」と、いつものソクラテスのやり方で逆に説得されてしまうという話である。
引用した箇所で、ソクラテスは「一番大切なことは単に生きることではなくて、善く生きること」だと言っている。善く生きることとは、美しく生きること、あるいは正しく生きることだと同義だという。ここでは、ソクラテスは単に生命を生きながらえることよりも大事なことがあると言っている。それが彼のいう「魂への配慮」であり、「善く生きること」であった。ソクラテスは「自分の魂をよく配慮すること」が「徳(アレテー)」であり、自分の魂をすぐれたものにするためには、何が善であり、何が美しいかといったことを知らねばならないとした。そして、その何が善であり、何が美であるかを知ることが本当の「知」だとしたのである。
おそらくやろうと思えばクリトンの勧めにしたがって脱獄して生きながらえることは、ソクラテスにとって可能だったであろう。しかし、もしそれをしてしまえば、ソクラテスが生涯をかけて主張してきたことは台無しになっただろう。彼は「善く生きる」ことと同時に「善く死ぬこと」を通して、自分が主張した「生きる上で最も大事なこと」を貫き通したように思える。
ここで思い出すのは、ナワリヌイ氏のことである。アレクセイ・ナワリヌイ氏が、2024年2月16日に突如死去したというニュースは世界に衝撃を与えた。こうしてプーチン政権のもとで不慮の死を遂げたおびただしい数の一人にナワリヌイ氏が加わってしまった。彼は勇敢にも、ロシア国内にいながら堂々とプーチン政権に反対し、運動を続けてきた政治家だった。2020年8月、彼は一度暗殺されかかっている。神経毒ノビチョクを使った暗殺未遂であった。プーチン政権の関与が強く疑われた。その後回復したナワリヌイ氏は、驚くべきことに滞在していたドイツからロシアに帰還することを決意する。命を賭した決断だったと言っていいだろう。しかしながら、2021年1月、彼はロシアに帰還すると同時に逮捕され、収監されたのである。そして、2024年帰らぬ人となってしまった。
ナワリヌイ氏は「なぜ危険を冒してまでロシアに帰るのか」と何度もジャーナリストたちに質問されている。しかし「そこが私の祖国だから」という言葉をくり返す。彼はまさにソクラテスと同じ行動をしたと言ってよい。自分の命を単純に永らえることを求めるならば、彼は国外に留まっていただろう。しかし彼は単に「生きる」ことよりも「善く生きる」こと、つまり、自らが正しいと信ずるところに奉じることを選んだのである。そして、そのことは彼が生涯かけて主張してきたことを光り輝かせ、私たちの記憶の中に永久に残りつづけるだろう。
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