木村花さんのことで思うこと
今年の5月にプロレスラーの木村花さんが亡くなった。
テラスハウスをNetflixで毎週見ていた自分にとってはとてもショッキングな出来事だった。
まるで自分の友人が亡くなったような感覚だったからだ。
それは、あの番組を通して、彼女の私生活を垣間見、彼女の恋愛模様や、彼女が仕事や人間関係で苦悩している日常を垣間見ていたからであろう。
人はなぜ自死するのかという謎
人が亡くなるというのは、とてつもなく大きな出来事である。しかも、自らの手で自分の命を断つという行為は、その人の気持ちを考えただけで、いかに孤独で、恐ろしくて、絶望的なことだったのだろうと思う。
人が死を選ぶとき、そこにはとても複雑な背景とプロセスがある。単純に「……だったから」「……が理由で」ということが言えないのが自死である。
人が自死を選ぶとき、そこには大きな謎がある。
『人はなぜ自殺するのか』(勉誠出版)という本を書いている張賢徳氏によると、自殺者の90%以上が自殺時に精神障害の診断がつく状態であったという。最多はうつ病で、二番目は統合失調症である。
自死に関する大きな誤解
ここで大事なのは、自死する人は悲惨な状況という原因があり、悲観的になり死んでしまうのだから仕方がない、という考えは大きな間違いであるということだ。
ならなら、そのような状態は決して「理性的な」状態ではないからだ。自死を選ぶような心理的状態に陥っている人は、必ずと言っていいほど「心の視野狭窄」と呼ばれる認知の障害が存在しているという。
つまり、そうした「心の視野狭窄」を解除できるようなアプローチ(例えばうつ病の治療)を行っていれば、自死を防げる可能性がある。
自死には多元的な背景がある
もう一つ大事なポイントとして、自死はそうした医学的な状態(うつ病など)だけを背景にして起こるのではなく、心理社会的背景、実存的背景、社会文化的な背景など、多元的な要因が絡み合って起こる複雑な現象であるということだ。
人間関係、収入の問題、仕事の状況など社会的な背景はほぼ必ず存在する。また「生きていて何の意味があるのだろうか」という実存的な虚無主義に陥ってしまう場合もあるだろう。
張賢徳氏が述べていることで、さらに注目すべきは、社会や文化全体の価値観の問題である。欧米ではキリスト教的価値観があり、自死を選ぶことは罪であると考える傾向にある。それに比べて、日本には切腹の文化など、自死を容認する態度が強い文化的背景があるのではないかということである。
サムライの時代も終わった現代で「切腹」の価値観など存在しないと思われるかもしれない。しかし、日本は「自己責任論」が比較的強い文化であり、他人に迷惑をかけないことが美徳とされる文化でもある。過剰な自責の念が、自死につながりやすい文化背景があると言えないだろうか。
自死を防ぐために
張賢徳氏は、自死を防ぐためには、医学モデル(うつ病などの予防)とともに、社会全体が自死予防に取り組むこと、特に「死にたい」と気軽に打ち明けられる社会の実現が大事だという。
私もその意見に大いに賛成する。そして、専門家やボランティア団体、相談窓口に頼る手段とともに、私たち自身が、家族や友人関係など自分の身の回りから取り組む必要がある。
私たちは、友人関係や家族の中で、ネガティブなことも言っていいよというコミュニケーションをとれているだろうか。悩んでいる人を見かけたときに、ネガティブなことを言いやすい空気を作れているだろうか。
何より、自分自身が小さな悩みや、弱音、苦しいと思っていることを、周りの誰かに打ち明けられているだろうか。
自分が生き延びるためにも、私たちはお互いに協力して、小さな悩みや弱音、心配ごとを、気軽に打ち明けやすい社会を作っていきたいと、心から思う。
リアリティ番組の倫理について
最後に、いわゆる「リアリティ番組」の倫理について考えてみたい。
恋愛リアリティ番組の有名どころは、「テラスハウス」や「あいのり」がある。どちらも好きで、私もよく見ていた。しかし、今回の事件で、リアリティ番組の問題点について考えるきっかけとなった。
一つは、それが本当のリアリティ(現実)ではなく、ショーアップされたものであるということだ。彼女たちが、実際に日常でどのように考え、どんな行動をしているかを忠実に映し出したものではなく、そこには編集という形での演出意図は必ず存在する。
もう一つは、出演している彼女らは、プロのタレントではなく、従って、いかに契約して出演しているとはいえ、職業タレントのようにネットやSNSでの大量の批判や中傷にさらされることには問題があるということだ。
残念なことに、今回のテラスハウスでは、後者のSNS誹謗中傷問題が大きく前面に出てしまったことは否めない。
そして、番組の一視聴者としても、そうしたリアリティ番組を観るという行為で、それを助長してしまったかもしれないことに責任を痛感している。
最後に、木村花さんのご冥福を心から祈ります。