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日本人的現象としての「事大主義」——山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』を読む

「どうしてそう無原則なのでしょう」私は思わず言った。教授は答えた、「無原則ではなく、これが事大主義すなわち"大に事(つか)える主義"です。その点では一貫しているわけです。御用聞きにとってお顧客(とくい)は"大"でしょう。だからこれに"つかえる"わけです。ただそのとき彼は、自分より"小"なものに対しては、検査場であなたに対してとったと同じ態度をとっていたはずです。あなたが異常と感じられたのは、自分の立場が一転したからで、その人の方はむしろ事大主義の原則通り一貫しているのです。ということは徴兵検査場では、徴兵官に対して、かつてあなたに対してとったと同じ態度をとっていたはずです、そうだったでしょう」
「その通りです」私はそのときの情景を思い出して言った。

山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫, 1987. p.17.

山本七平(やまもと しちへい、1921 - 1991)は、日本の評論家。山本書店店主。1970年にイザヤ・ベンダサンというペンネームで『日本人とユダヤ人』を山本書店より発売し、ベストセラーとなる。1977年に『「空気」の研究』を発表。日本人が「空気」に支配されてしまう構造を鋭く分析した。その後、山本七平の実名で数多くの著書を発表し、時代に大きな影響を与えた。山本は学術機関に身を置く研究者ではなく、書店店主という在野の立場でありながら、日本社会・日本文化・日本人の行動様式を「空気」「実体語・空体語」といった概念を用いて分析し、社会学的にも重要な貢献をした。その独自の業績を総称して「山本学」と呼ばれる。
山本七平に関する過去記事の参照のこと(『山本七平の思想』解説『日本人とユダヤ人』解説『「空気」の研究』解説『日本教について』解説)。

本書『一下級将校の見た帝国陸軍』は山本七平の1976年の著書であり、自らの従軍体験を元に、日本人の特性について論じたものである。山本は、1942年9月、太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲兵連隊へ入隊。その後、甲種幹部候補生合格、愛知県豊橋市の豊橋第一陸軍予備士官学校に入校する。1944年5月、第103師団砲兵隊本部付陸軍砲兵見習士官・野戦観測将校(のち少尉)として門司を出航、ルソン島における戦闘に参加。1945年8月15日、ルソン島北端のアパリで終戦を迎えた。同年9月16日、マニラの捕虜収容所に移送される。終戦後2年たった1947年にようやく帰国した。

山本は、21歳時に徴兵検査場で見たある光景に衝撃を受ける。それは、ふだん山本家を訪れる商店の御用聞きのおやじが、在郷軍人として、声高に威圧的な軍隊調で、徴兵検査を受けに来ていた学生たちに指示を与えていたのだ。いつも愛想笑いを浮かべ、それが固着してしまって、一人で道を歩いている時もそういった顔つきをしていたあのおやじが。人あたりがよく、ものやわらかで、肩をすぼめるようにしてもみ手をしながら話し、必ず下手に出て最終的には何かを売っていく彼。その彼が、今目の前で、超軍隊的な態度で怒鳴っている⋯⋯。

気づくと、山本はその男をじっと見つめていたらしい。その視線を感じた彼は、それが山本とわかると、何やら非常な屈辱を感じたたらしく、「おい、そこのアーメン、ボサーッとつっ立っとらんで、手続をせんかーッ」と怒鳴った。それ以後も、検査が終わるまで終始一貫この男は山本につきまとい、何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせつづけたのである。これが軍隊語で「トッツク」という、一つの制裁的行為であることを、山本は後に知る。

軍隊との初対面におけるこの驚きは、その後長く山本の心に残った。あるとき、某大学教授にそのことを話したところ、それは少しも珍しくない日本人的現象だと言う。日本人は、ある状態で、「ある役つきの位置」におかれると一瞬にして態度が変わってしまう。山本が「なぜそう無原則なのか(無原則に変節するのか)?」とその教授問うと、それは無原則なのではなく、「事大主義」なのだと彼は言う。つまり「大に事える主義」なのであり、その点では一貫しているわけである。御用聞きにとって普段は顧客こそが「大」であり、それにつかえている。しかし一旦軍隊の中での役割を得ると、上官という「大」には媚びへつらい、「小」である学生たちに対しては尊大な態度を取るわけである。

山本は、「この事大主義に基づく一瞬の豹変は日本人捕虜に見られ、また日本軍の捕虜の扱い方にも見られ、さらに戦後では、公害運動家の一部にさえ見られる」という。したがって、この「素質」を単位として構成された帝国陸軍が、徹頭徹尾「事大主義」的であったのは、当然の帰結であったと山本は語る。

この日本人の「事大主義」的素質は終戦とともに、変わったのだろうか。山本は決してそうではないと言う。戦後の学生たちの態度、公害運動家の一部、さまざまな国民の間に、同じような現象が見られる。山本は、事大主義を一つの例として、さまざまな奇妙な「戦時中の顔」がこちらを覗いていることに気づく。例えば、華々しい辻政信の復活である。60年安保の少し前、参院選における辻政信の街頭演説の現場を偶然目にした山本は、強烈な違和感を感じる。辻の演説に対して聴衆は喝采を送り、次々と握手を求めていたからである。なぜこれが可能なのか、なぜこれが通用するのか、なぜ辻政信のような戦争犯罪人が一つの「権威」として存続しうるのか。ここに山本は、日本人の戦前から今もかわらぬ日本人の「何か」を感じていたのである。



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