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コミュニティ再生、そして包摂的ローカリズムへ——ラグラム・ラジャン『第三の支柱』を読む
要するに、血縁や民族の絆が弱い国際都市でも、またアメリカや西欧のような個人主義的な社会でさえも、近隣コミュニティには今日なお意味がある。コミュニティの重要性を理解すれば、国が強く経済成長するだけでは不十分な理由が明確になる。経済の専門家が好んで用いる経済的パフォーマンスの指標では足りないのだ。また、その国のコミュニティに成長がどのように分配されるかもきわめて重要だ。自分のコミュニティにとどまることに価値を見出している人々はあまり移動しない。彼らは成長地域で働くために移動できないから、自分のコミュニティでの経済的成長を必要とする。コミュニティを気にかけるなら、成長の地理的分配についても気にかけなければならない。
となると、今日の問題の根源は何だろうか。一言で言えば、不均衡だ。三本の支柱が適切に均衡していれば、その社会では人々は幸福になる可能性が最も高い。国家は物理的な安全を提供するもので、これまでもずっとそうだったが、現代では同時に、経済的成果を公平にしようともしている。そしてそれを民主主義は求めている。公平にするために、国家は市場に制限を設けるとともに、人々に一定レベルの競争の場を提供しようとする。また、大多数の人々が平等な条件で市場に参加できる能力を持ち、同時に市場の変動から守れるようにもしなければならない。効率性に優れ、入手可能な資源で最大の成果を上げる者が成功することを保証するのが競争市場だ。成功者は富を得るとともに、国家からある程度独立する。こうして彼らは国家の独断専行の抑止力となる。最後に、工業化した民主主義国の国民は、自分のコミュニティに参加して、社会的、政治的に組織をつくり、市場と国家を分離させておくという必要不可欠な仕事をする。こうすることで、経済的競争と政治的競争が十分確保され、経済は縁故主義や権威主義に陥らなくなるのだ。
ラグラム・ゴヴィンダ・ラジャン(Raghuram Govinda Rajan、1963 - )はインドの経済学者。シカゴ大学経営大学院教授(Eric J. Gleacher Distinguished Service Professor of Finance)や、インドの中央銀行であるインド準備銀行の総裁を務めた。専門は金融論、銀行論。
本書『第三の支柱』は、グローバリゼーションと、その社会的、政治的影響を俯瞰し、「国家」「市場」「コミュニティ」という三つの支柱が、その中でどのように相互作用し、バランスを失い、現在の危機につながっているのかを、壮大なスケールで描き、今後歩むべき道を「コミュニティの再生」に見出している書籍である。第三の支柱が意味するところは「コミュニティ」であり、その再生が重要であるとラジャンは説く。経済学者は自らの領域を市場と国家の関係と考えるが、それは近視眼的だけではなく、危険ですらあると、ラジャンは主張する。あらゆる経済学は現実の政治経済であり、あらゆる市場は人間関係、価値観、規範の網目に埋め込まれているからだ。ラジャンは市場と市民社会の関係を再考し、社会に満ちつつある現場への絶望への処方箋として、「包摂的ローカリズム」を訴える。
本書で採用する「コミュニティ」の定義は「規模を問わず、メンバーが特定の地域に住み、統治を共有し、共通の文化的および歴史的遺産を有することが多い社会集団」だ。典型的なコミュニティは現代においては近隣社会(つまり村や町や地方自治体)である。本書で注目するのが、メンバーが近接して暮らすコミュニティであることだ。バーチャルなコミュニティや国家規模の宗教団体はそこには入らない。教育委員会、自治会、町議会などの地方政府もコミュニティの一部と考える。
コミュニティはかつて人びとにとって重要なものであった。すなわち、国家、市場、コミュニティが一体になったものが社会だった。しかし、やがて市場と国家とコミュニティが分離していった。時代が下ると、市場と国家はコミュニティから分離しただけでなく、伝統的コミュニティの絆を強めていた活動も着実に侵食した。
コミュニティは今でも重要な役割を多数果たしている。個人を現実の人間のネットワークに定着させ、アイデンティティの感覚を与えるのはコミュニティだ。また、良いコミュニティで育つことは経済的にも良好な影響を及ぼす。地域コミュニティの政府(地方自治体政府)は、国の政策に対して防波堤の役割を果たす。多数派の専横から少数派を守り、国家権力の抑止力になる。市民民主主義の活力を維持するためには、まさに健全なコミュニティが不可欠である。
血縁や民族の絆が弱い国際都市でも、またアメリカや西欧のような個人主義的な社会でさえも、近隣コミュニティには今日なお意味があると、ラジャンはいう。近隣コミュニティは人びとの市民的アイデンティティを強化するとともに、人びとの経済的活動や意義のある社会的活動の基盤を与えるものである。したがって、コミュニティを大事にするためには、経済的成長の地理的分配、つまりコミュニティへの公正な分配を気にかけなければならない。
ラジャンは今日の問題は一言で言えば、不均衡だという。三本の支柱である国家、市場、コミュニティが健全にバランスをとり、適切に均衡していれば、その社会では人びとは幸福になる可能性が高い。コミュニティという支柱を健全化するために、おそらく最も重要なことは、国家がコミュニティから一貫して奪ってきた権限をコミュニティに戻すことである、とラジャンはいう。そこで重要となる概念が「包摂的ローカリズム」である。地域主義=ローカリズムとは、コミュニティに力、支出、活動を集中させるという意味でのローカリズムであり、この分権化によってグローバル市場のメリットを維持しながら、人びとの自己決定意識を高めることができる。そして「包摂的」の意味は、包摂的な市民、すなわち多様な民族や文化・アイデンティティの市民によって運営されるコミュニティを重視することを指す。本書でラジャンは多様な民族からなる包摂的コミュニティが、再生と成功を成し遂げた事例を多く挙げている。「包摂的ローカリズム」こそが、三つの支柱の均衡を取り戻し、人びとの幸福のために、より優れた実現性の高い選択肢であるとラジャンはいうのである。