上善水の如し、Be water my friend——ドリアン助川さん『バカボンのパパと読む「老子」』を読む
作家・詩人のドリアン助川さんによる『バカボンのパパと読む「老子」』、第8章より引用。「老子」全81章を、原文とドリアン助川さんの現代語訳、そして、バカボンのパパ訳で併記しているのが特徴的で、非常にわかりやすい。
ドリアン助川さんいわく、この五千余字の『老子』には結局何が書かれているのか。ひとことで言えば「無為自然」の教えなのだという。人の知恵であれこれ考えて策を弄するのではなく、大いなる自然の摂理である「道=TAO」と息を合わせ、そこから生き方やあり方を見つめ直してみなさいと老子は語っている。
「道(TAO)」とは何か。それをひとことで言い表すのは難しい。『老子』全81章は、その「道」の一つ一つのスケッチのようなものであり、全体を読み、少しずつ理解していくことで「道」の全貌を少しでも感じることができればそれでよいとドリアン助川さんは言う。
老子の根幹は、TAOに従い、TAOを自らに取り込むことによって、誰もが本来の命の分だけ生きることができるという部分なのだとドリアン助川さんは言う。為すがままに生きよ、無駄に死ぬなよ、と老子は語ってくれているのだ。
『老子』を読むと、その反戦思想、戦争が無為であり無駄なものであるという思想も強く感じることができる。老子にとっては、戦争もまた、人の欲望の産物に見えたのである。人の集団である国が、他国の領土を欲しがる。そこから争いが生まれる。だからまず、一人ずつの胸から欲望を消し去れと老子は言っている。これが仏教と交わり、のちに「禅」へと発展した老子的思考の帰結点なのである。
『老子』の第8章は「上善如水(上善水の如し)」という文章である。最上の善は水のようなものである。水はすべてのものに恵みを与え、しかも争わない。常に、人が嫌がる最も低いところにいる。常に低いところにいて、奥深い考えを良しとして、人と交わるには優しさ(仁)をもってし、言葉においては信義あることを心がけ、事に対しては「なるようになるのだ」のバカボンのパパの気概をもつ。このように生きれば、何も思い悩むことはなく、「道」に従って生きることができるのだ。
ちなみにこの「上善水の如し」は、武術家のブルース・リーが、自身の武術の根本哲学として大事にしたことでも有名である。ちなみに彼の言葉は以下のようなものである。
ちなみにこの「Be water(水になれ)」は、2019年長期化する香港デモの中でも、精神的支柱となるスローガンの一つとなった。香港はブルース・リーが映画俳優としても活躍した街であり、彼らの心にブルース・リーが持つ影響力は大きい。
圧政に対して屈強に抵抗するのではなく、水のように、争わずに抵抗すること。それこそが逆説的に最も強い力なのであり、「道」に通じるあり方である。この言葉が老子以来、2000年の時を経て、ブルース・リーを経由して、現代の香港の人たちの心を奮い立たせたというのは、なんと素晴らしいことではないだろうか。