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「誰も知る者がいなければ俺は父を殺すだろう」——トルストイ『光あるうち光の中を歩め』を読む

『そうだ』ユリウスは自問した。『自分の決行することを誰も絶対に見る者がなく、知る者がいないとわかったら、そして同時に、一撃の下に父の一命を奪い自分を自由にすることができるとした?』そしてユリウスは自答した。『そうだ、俺は父を殺したにちがいない』彼はこう答え、自分で自分にぞっとなった。『それなら母に対してはどうか? そうだ、俺は母を気の毒に思う。しかし、母にも愛は感じていない。母がどうなろうと、俺にはそんなことはどうだっていいので、母の物質的援助が必要なだけなのだ……そうだ、俺は獣だ! 狩り出され追い詰められた野獣だ。ただ野獣と異なるのは、自己の意志によってこの虚偽に満ちた邪悪な生活を脱却することができるという一点だけだ。野獣のできないこと、つまり自殺ができるという一点しか違っていやしない。俺は父を憎んでいる。誰にも愛を感じない。母も親友も……ただパンフィリウスだけがちょっと違うような気がするだけだ……』

トルストイ『光あるうち光の中を歩め』原久一郎訳, 新潮文庫, 1952. p45.

レフ・トルストイ(Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828 - 1910)は、帝政ロシアの小説家、思想家。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。トルストイの過去記事(「小説でもなければ、詩でもなく、ましてや歴史記述でもない」——トルストイ『戦争と平和』を読む)も参照のこと。

本作品『光あるうち光の中を歩め』は、福音書に伝えられているキリストの教えに従って生きよと説いた晩年のトルストイの思想を、きわめてわかりやすく示している小説作品である。発表されたのは1890年(トルストイ62歳のとき)であるが、当初はロシア国内で発表するのが困難だったため、英訳されたものが「フォートナリトリイ・レビュー」誌に掲載されたという。理由はおそらくキリスト教的アナーキズムの思想を伝える箇所(私有財産の放棄など)が、ロシア帝政にとって不都合だったからである。

すでに『懺悔』『さらばわれら何をすべきか』を発表していたトルストイは、キリストの教えに従って生きる道、キリスト教的アナーキズムの思想(古代の原始キリスト教世界を理想とするもの)をこの作品でも示している。この作品はユリウスという青年と、彼の友人パンフィリウスが主人公である。パンフィリウスは古代キリスト教の世界に生きぬいているが、欲望や野心、功名心などの渦巻く俗世間にどっぷりとつかっているユリウスは、パンフィリウスの思想を肯定できない。そして、現世に絶望したり、自己嫌悪におちいったりして、何度かパンフィリウスの住む世界へ走ろうと志しながら、そのたびに、疑惑や迷いにはばまれて、ふたたび俗世界に舞い戻っては、そこでまた一応の成功をおさめ、パンフィリウスの思想を否定する……。

この作品で扱われているテーマは、幸福、性的な愛、私有欲、名誉心などであり、愛とは何か、真の幸福とは何かといった普遍的なテーマが、きわめて具体的な形で小説となって提示されているので、読みやすく、強い説得力をもっている。冒頭の引用は、ユリウスが自分の放蕩によって窮地に陥り、自分の人生の何が悪かったのか、どこで間違ったのかを自問自答する場面である。そのなかでユリウスは、誰も見ている者がいなければ、そして絶対に証拠が残らないとしたら父を殺すだろうという、父への強い憎悪心を自覚し、愕然とする。そして母に対しては気の毒に思う心はあるが、やはり愛情はないということも自覚する。彼には愛というものが全く欠如しているのであった。そして自分が野獣に等しいということを知り、ただ一点野獣と異なることがあるとすれば、自殺できることだと考えてしまう。それを引き止めたのは、友人パンフィリウスの存在であった……。

ユリウスはその後、まっすぐにパンフィリウスのキリスト教の道へと改心したのかというと、それほど単純には話は進まない。彼の前にはある哲学者がたちはだかる。その哲学者はキリスト教の欺瞞といったものをユリウスに説く。あたかも、アンチクライストの哲学者ニーチェのようである。キリスト教は、欲望を抑制せよと説く。しかし、私たちの情欲というのは自然なものであって、それを抑制することを教えるキリスト教は欺瞞の教えである。原始キリスト教的な社会からは、神殿や彫像や劇場や博物館は生れてこない。ましてや性愛を否定するキリスト教は、我らに子孫がうまれ、人類が永続することさえ否定している……。

ユリウスがたどる思想的な迷い、逡巡、彷徨は、あたかもトルストイ自身が辿ってきた道のようでもある。私たちは、どのように生きるべきなのか。私たちが、心安らかに生きるためには、自己の情欲を抑制することが必要なのか。はたして幸福とは何か。そんな普遍的なテーマが含まれているこの作品は100年以上を経ても、私たちの心に直接響いてくるような力強さを持っている。


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