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空と風と星と詩——尹東柱の詩を読む

  序 詩

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。
今夜も星が 風にかすれて泣いている。
                       (1941.11.20)

『尹東柱詩集 空と風と星と詩』金時鐘編訳, 岩波書店, 2012. p.9.

尹 東柱(ユン・ドンジュ、朝: 윤동주、1917.12.30. - 1945.2.16)は、朝鮮民族の詩人である。朝鮮語で多数の詩を創作した。福岡刑務所で獄死した。死後に『空と風と星と詩(朝鮮語版)』などの作品が知られるようになった。1941年12月、ソウルの専門学校卒業時に、東柱は一度『空と風と星と詩』の出版を計画するが時局のため断念。東柱は1942年3月に日本に渡り、4月2日に立教大学文学部英文科に入学する。従兄弟の宋夢奎(ソン・モンギュ)も、同年4月に京都帝国大学西洋史学科に進学した。

1943年7月10日 、宋夢奎が治安維持法違反容疑で逮捕される。同月14日に東柱も同容疑で逮捕された。東柱の逮捕罪状は3つあって、その中でも「温厚ではあるが西洋思想が濃厚」というのが主な理由であった。1944年2月22日、尹東柱と宋夢奎は起訴され、3月31日に京都地方裁判所で、「日本国家が禁止する思想を宣伝・扇動」をしたことで、懲役2年の実刑判決を言い渡される。2人は福岡刑務所に収監された。その一年後の1945年2月16日、福岡刑務所で原因不明の死因により獄死した(満27歳没)。日本が敗戦する半年前であった。死後、友人たちが遺された詩集を刊行。その清冽な言葉がたちまち韓国の若者たちを魅了した。

岩波文庫の詩集で解説を書いている金時鐘は、尹東柱を「清怨としか言いようがない詩情を流露してやまなかった非命の民族詩人」と評している。しかしながら彼は、尹東柱を民族抵抗運動の詩人とだけ解釈するのは間違いだと述べる。尹東柱の詩作品は「時節や時代の状況からははずれているノンポリの作品」であり、むしろ「その時、その場で息づいていた人たちと、それを書いている人との言いようのない悲しみやいとおしさ、やさしさが体温を伴って沁みてくる作品」だと評する。

わずか27歳で獄死したこの非命の詩人が、当時どんなことを思い、考えていたのか。これらの詩の多くは日本に渡航前に書かれているが、当時苛烈な状況だった植民地朝鮮で、「ただ勉学にいそしむしかない安穏な自分と、学徒として、キリスト教徒として、何ひとつ成すことを成しえないでいる無力な自分」、この誠実な問い返しに貫かれているのが、この一冊の詩集であると金時鐘は述べる。

冒頭の詩は、私には尹東柱が、自分に与えられた道を誠実に生きていこうとするときの宣言のように感じられる。ただし、彼のまなざしはただ明るい部分だけに向けられてはいない。天を仰ぎ、星を仰ぎみるときにも「絶え入るもの」へのまなざしを忘れずに、彼らをいとおしむ心を忘れずにいたいと願う心。彼はそのような高い志を保ち続けたいと「思い煩う」のである。星は風にかすれて「泣いている」。自分を見下ろし、絶え入るものたちを見守る星々は、笑っているのではなく、死にゆく者たちを悼み、悲しんでいるように感じられる。




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