見出し画像

「パシリ」としての参与観察者——打越正行氏「暴走族のパシリになる」(『最強の社会調査入門』)より

参与観察における調査者は、調査対象社会や、そこの人びとのやりとりに介入することに対して慎重であった。もちろん、過度に配慮に欠ける介入は問題であるが、無知な調査者が調査対象社会を調べること自体が、介入を回避できないし、調和を乱さずに調査を進めることは生身の人間を対象とする社会調査では(それはアンケート調査であっても)原理的に不可能である。そうであるならば、対象社会に入り込んで自分がどのようにふるまうことが適切なのかを、試行錯誤しながら反省的に検証し、そのための行動様式を身に付けるべきだろう。そして、それには失敗が有効に機能することがある。(中略)
それ〔注:なぜ調査対象者は実益がないにもかかわらず協力してくれたのか〕は、ここまでの議論からわかるように、私が未熟で隙があったからだ。その結果、対象社会に巻き込まれ、時間をかけて調べ、失敗することを可能とするパシリになれた。それは対象者からすると私が話したことを丁寧に聞き、教えたことを身に付けて育つこと、つまり対象社会の一員として巻き込める見込みを確認するためではないだろうか。このようにパシリになることは、調査対象社会において、聞いてはいけないこと、やってはいけないことはもちろん、自分の立場・地位、調査対象者との関係性の変化/見通し、組織の力関係、組織内でうけるネタ/タブー、時間感覚/金銭感覚、身体技法などを、新参者が成長していく時間に沿って、失敗しながら知る方法である。

前田拓也,他編『最強の社会調査入門:これから質的調査をはじめる人のために』ナカニシヤ出版, 2016. p.96.

引用したのは社会学者の打越正行氏による社会調査法入門者のための文章である。本書『最強の社会調査入門』には、10数名の社会学者による具体的な調査法の事例が挙げられている。その中でも打越氏の「暴走族のパシリになる——「分厚い記述」から「隙のある調査者による記述」へ」は異彩を放っている。打越氏は10年以上をかけて沖縄の下層の若者たちのフィールドワークを行い、2019年に『ヤンキーと地元』を出版、その他にも多くの論文を刊行している。

通常、社会調査をおこなうにあたり、研究者は調査対象者との関わりにおいて慎重であるべきであり、配慮に欠けた行為は慎まねばならないとされている。打越氏の暴走族の若者たちを対象とした社会調査は、当初はカメラマンとして彼らとの関わりを始めようとしたのであるが、気づけば彼らの「パシリ」になっていたという。そして、関わりの最初から「失敗」をくり返した。このような未熟で隙だらけの社会調査者は成り立つのであろうか?

打越氏は、こうした未熟で隙のある調査者としての立ち位置、つまり「パシリ」としての社会調査者にも大きなメリットがあるという。例えば、「パシリ」になるためには一定の時間が必要となる。パシリとは、忠実に指示をこなすだけでは完成度の高いパシリとはいえない。忠実でありながらも、ときには先輩に叱責されたり、バカにされたりしながら、指導を受けるくらいのパシリが長い目でみると先輩との関係を良好に保つことができるという。つまり一定の時間をかけてパシリになっていくことで、調査対象者の社会を新しいメンバーと同じ時間の流れに沿って知ることができるのである。調査者のペースで調べるのではなく、彼らが経験する時間の経過にそって、地位を獲得しながら調査を重ねることができるという。

また、「パシリ」としての調査者は、失敗を重ねることになるが、その失敗をくり返すことが対象者との良好な関係性を築くことにつながるという。パシリは調査過程における失敗をカバーすることが可能なポジションである。すべての失敗をカバーできるわけではないが、失敗することで先輩から叱責され、地位が安定していく。それゆえ調査対象社会の「常識」を備えていなくとも、パシリとして失敗を重ねながら対象者との関係性が構築される。打越氏は、幸運にも失敗をもとに調査地で出入り禁止になったり、対象者から関係を終わらされたことはなかったという。むしろ、失敗をくり返すことで、関係性が深まっていくケースが多かった

打越氏は「時間間隔(時間の流れ)」に関してもパシリとしての調査者にメリットがあるという。パシリとしての社会調査は、初心者が社会化される時間の流れに沿って調べることが可能な役割である。パシリとしての調査で有効となる時間は、時計で測れる時間の長さによるものではなく、それぞれの人間によって濃淡やスピードの異なる経験する時間をともに過ごすことによって見えてくる時間世界であるという。単に調査対象社会に長く関わることが重要なのではない。それは、調査者が調査対象社会に「巻き込まれるか否か」の問題である。そのためには、調査者の未熟さや隙のようなものがあることが重要であり、調査者が失敗をしたり隙を見せたりするなかで、関係性が深まっていく。そうしたことが逆に調査者にとっての強みになることがある。ギアーツの「分厚い記述」から、打越の「隙のある調査者による記述」へ、という打越氏の副題も大きな説得力をもっている。


いいなと思ったら応援しよう!