人間の死は決して抽象化されてはいけない——山本直樹『レッド』の「敗北死」を考える
『レッド』は、山本直樹による日本の漫画。1969年から1972年の日本を舞台に、革命を起こすことを目指した若者達の青春群像劇。連合赤軍およびその母体となった2つの新左翼団体(革命左派と赤軍派)、それらが合流した連合赤軍をモデルにしている。2010年、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。引用したのは2023年に出版された新装版『定本レッド』4巻シリーズの第3巻、連合赤軍のリーダー森恒夫をモデルとした北盛夫の台詞。
あらすじは以下の通り。1969年、東京大学安田講堂の陥落を境に全共闘運動は勢いを失いつつあった。革命の退潮に抗うように、ダイナマイトによる非合法のゲリラ闘争へ傾斜していく革命者連盟(革命左派がモデル)のメンバー。革命者連盟はもう一つの急進的グループ「赤色軍」(赤軍派がモデル)との同盟関係をうち立て、いっそうの武装闘争路線へと突き進んで行く。そして1972年1月、赤色軍と革命者連盟の幹部は榛名ベースにて「赤色連盟」(連合赤軍がモデル)の結成を宣言。それに伴い、ベースに集結した二十数名の同志たちに革命戦士となるため、それまでの言動に対する「総括」を要求する。しかしそこで展開されたのは、「総括の援助」と称した苛烈極まる暴力であった。12月31日未明、一人の同志が榛名ベースの寒さと同志からの暴力によって命を落としたが、彼らはそれを総括できなかったための「敗北死」と受け取るのだった……。
榛名ベースにて赤色連盟の結成を宣言、最高幹部となった北盛夫(こと森恒夫)。メンバーの「問題」を追及し正座の強要や食事制限、遂には「総括を深化させるために同志を殴って気絶させる必要がある。気絶から意識が戻った時には革命戦士となり、共産主義についての理論を受け入れる」と独自の理論を展開し、総括=暴力の基準を作っていく。あるメンバーを追及した際には、彼の行動が反革命と言わざるをえないとして死刑に処し、さらに死刑に動揺した別のメンバーを追及。彼が逃げようとしていたことを打ち明けると、同じく死刑を言い渡して殺害。北らによるメンバーへの「総括要求」と「共産主義化」、そして「敗北死」の理論は形而上学化していき、現実における生物学的な死を、彼らの共産主義理論における「敗北死」という抽象的なものへと変貌させていく。
読んでいて心から恐ろしくなってくるような話だ(実際に私は読んでいて、心の奥底が震えだしてしまうような、凍りつくような思いをした)。「本当にこわい話」というのは、このような事実を言うのだろう。これらの事件が実際に50数年前に日本で起きたということが信じられないくらいに、そこで起こった事実の数々、そしてそこで彼らが展開した「理論」は、現代の感覚では想像することも、了解することも不可能であると言わざるを得ない。彼らはどこで狂ってしまったのであろうか。
その一つが森恒夫による「敗北死」という奇妙な概念の発明である。彼らが国家権力の網の目から逃れ、山岳に榛名ベースを作った後、最初に出た犠牲者が伊吹こと尾崎充男であった。尾崎充男の死は森恒夫にとっても想定外であった。「共産主義化を完成させるために、腹を殴って気絶させる」という独自の理論のもとに、尾崎は腹部を殴打された後、おそらく内臓破裂によって死に至ってしまう。このとき、森恒夫は「彼が死んだのは肉体的な原因ではなく、総括ができなかったことによる精神的な死によるものであり、革命戦士になれなかった敗北死である」という無茶苦茶な理論化を行ってしまう。
そこで終われば「敗北死」なるものも森恒夫による自己正当化の屁理屈に過ぎなかっただろう。しかし、恐ろしいのは周囲のメンバーもそれに同調し、その理屈を受け入れてしまったことである。総括要求(=集団リンチ)の末のメンバーの死は、肉体的な暴力によるものではなく、本人の精神が共産主義化できなかったこと、総括できなかったことによる「敗北死」なのであり、その死の原因はあくまでも本人にあるというわけである。これによって、森恒夫は自らが招いた同志の死を、自分の責任ではないという責任回避と、自分たちが革命戦士の集団としてより高いレベルに行くための必要なステップであるという「高度な」理論にまで変容させてしまうのである。
結局、今から振り返るとあの新左翼運動と、その行き着いた末の連合赤軍事件とは何だったのだろうか。集団主義における個人の無思考性、閉塞した集団内における権力欲と嫉妬と暴力の関係、理想主義が現実と乖離したときの暴走など、さまざまな洞察を得られる話ではある。しかし、彼らがもし引き返すことができたとしたら、「人間の死は目の前にある厳然たる事実である」ということを認められなかった、あの「敗北死」概念の発明の時点ではなかっただろうか。人間の死は、まぎれもなく肉体的な死なのである。尾崎の死は敗北死でもなんでもなく、腹部殴打による内臓破裂が原因である。それは抽象的な理論や「高度な」概念によって決して美化されたり誤魔化されてはいけない。その事実を受け入れなくなったとき、人は人として終わってしまうのではないだろうか。