宮澤賢治の「外にありながら内にあること」——見田宗介『宮沢賢治——存在の祭りの中へ』を読む
本書『宮沢賢治——存在の祭りの中へ』は、社会学者・見田宗介による宮沢賢治論である。
宮沢賢治の物語にはよく鉄道が出てくる。例えば『青森挽歌』という『銀河鉄道の夜』へとつながることになった小作品にも、こんな一節がある。
ここで賢治は、汽車の中に乗って窓の外を眺めているのだけれども、その窓が水族館の窓を見ているように見える、つまり外部から内部を覗いているような感覚になっている。内側にありながら同時に外部にあるという二重化された眼の位置を、何の不自然さもなく受けいれているのである。それは宇宙自体がそれ自体、異の空間への出口をもつ空間でなければならないことを賢治が感じていたことを示している。
この「外にありながら内にあること」という反転のイメージは、賢治においてはそのまま〈鉄道〉や〈銀河〉のイメージと重なっている。視界のかなたに一筋遠く光るもの、けれども同時に、いつのまにか私たち自身がその中にいるもの、このような「汽車」のかたちが、正確にまた「銀河」のかたちとなっているのである。
外にありながら内にあること、〈銀河〉と〈鉄道〉のイメージが重厚な重音のように重なり合いながら体現していることの可能性が、空間の性質であるばかりでなく、時間の性質であることによって、また対象的「世界」の性質であるばかりでなく、主体的「自己」の性質でもあることによって、それが賢治の目指す〈解放〉の土台を準備するのだと、見田は語る。
明治・大正の時代、鉄道は人々にとって解放の象徴であった。鉄道は「異世界への交通手段」であり、その行く末が実在の場所(東京)ではなく、どこか非在の空間のような目的地へといざなうものであった。『青森挽歌』は、賢治の妹とし子が亡くなったときに作られている。賢治はとし子の死後、実際に放浪の旅に出る。そのときの感傷をもとに作られた一群の作品の一つなのである。『青森挽歌』の鉄道のイメージは、賢治にとって、妹とし子の存在のゆくえを求める幻想の旅でもあったはずである。
鉄道は「想像力の解放」のメディアであった。けれども同時にこの解放のメディアは、幻想の都〈東京〉に向けて、つまり近代資本制国家の興隆に向けて、津々浦々の共同体の想像力を収奪してゆく権力装置でもあった。『銀河鉄道の夜』の賢治は、この鉄道の軌条を転轍することによって、その想像力の解放のメディアを解放したのである。