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〈いのち〉のわからなさ——最首悟さんの思想

柳田國男は、つい最近まで人は一時に百語という語を発することはなかったし、村の寄合で、ほんのわずかなことを決めるのに、どれだけ時間をかけたかということを書いています。優柔不断で社会が行き詰まってしまうということはないのです。時間に追われ始め、時間泥棒が登場して時間に煽られるようになると、やっぱり合理と即決主義、あるいは能率ということが優先される。  
私の立場は、〈いのち〉はわからないということです。神はすべてを知っているというアナロジーとして、〈いのち〉はすべてを知っていると言ってもいいのですが、〈いのち〉が神と違うのはご託宣がない、〈いのち〉から直接発信されることはないということです。その「わからなさ」から、きっと何かが起こる、次は何につながっていくんだろうという期待が生じる。
私が唸ったのは、中原中也が、息子を亡くした後に詠んだ「ゆきてかへらぬ」という詩で、「目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた」という表現に出会ったときです。そこに、「わからなさ」の温和な形がある。  

月刊『創』編集部『開けられたパンドラの箱 ――やまゆり園障害者殺傷事件』(pp.150-151). Kindle 版.

引用したのは相模原障害者施設殺傷事件に関する本『開けられたパンドラの箱 ――やまゆり園障害者殺傷事件』より、思想家であり重度障害者の娘をもつ親でもある最首悟(さいしゅ さとる, 1936年生)さんの文章からである。

重度障害者を「心がない者」と決めつけ、社会の負担になっているから問題解決のために排除するべきであると主張する植松聖に対して、最首さんは文通を通して向かい続けてきた。

しかし、最首さんは言う。「心がないという状態はどういうことなのか」と。そもそも表現されない感覚、表現の網に捕まらない心があるというのが大前提である。「わからない」ということが、あまりにもなおざりにされている社会になっていないか。「わからなさ」、そして「ためらい」が最首さんの出発点である。「わからなさ」のオリエンテーション(定位)、これがどれだけ穏やかな人間の心の状態を導くかということを、植松青年に知ってもらいたいと最首さんは言う。

人間のわからなさ、いのちのわからなさ。最首さんはそこを突き詰めようとする。最首さんは「人間における二者性」ということも言う。「人間」という不思議な呼び方。一人称の省略という日本語のあり方。能動態と受動態とは違う、中動態が日本には現代も残っているということも特徴的だ。人間を「場所」的存在と考える日本の考え方は、人格を与えられた「個人」と考える西洋のものと決定的に違う。今、私たちの人間観には、西洋的な「個人」としてのあり方と、日本的な中動態的な「場的存在」としてのあり方の二者性があると最首さんは言う。

日本の場的存在の人間観では「成りゆき」ということも重要視される。思想家の丸山眞男が「つぎつぎになりゆくいきおい」ということを言っている。主体としての個人がつくっていく(ポイエーシス)のではなくて、おのずから「成りゆく」。これも「わからなさ」をはらむ思想、「わからなさ」を大事にする思想と関連がある。個人ではなく、関係性や場の情況から現象を考えていく思想である。

そうしないと、〈いのち〉の問題を、すべて個人の責任や、能動態や、問題解決という位相で考えていくかぎり、問題解決のために重度障害者を排除するという思想に行き着いてしまうのではないか、というのが最首さんの懸念である。「わからなさ」を肯定的に捉える発想そのものが、現代から欠落している。それは合理主義・即決主義・能力主義の社会とつながっている。そもそも、日本にはそれと真逆の文化があったことを柳田國男は描いている。わずかなことを決めるために、延々と時間をかけた時代があった。そこから、最首さんは「優柔不断で社会が行き詰まってしまうということはない」と断言する。

もう一つ重要な話を最首さんは語っている。オランダで安楽死に関わっている家庭医の話である。オランダの家庭医は苦悩していた。60ほどある段取りを一つでも抜かすと刑事罰や訴訟の対象になる。それに加えて、人の死に携わること、安楽死とは言え、最終的に自分が死を与えなくてはいけないという事実。非常に厳粛なことであり、家族や友達と楽しむことができない。そういう集いから外される。安楽死の患者を年間3人もつとしたら、本当に「ひとりぼっち」になってしまうと。「それは耐えられないんです」と家庭医は語っていた。安楽死の「先進国」と言われるオランダにおいても、実際にそれに携わる家庭医は、現場でこれだけ迷い、苦悩している。それは、やはり〈いのち〉のわからなさから来るものだと言えるだろう。




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