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中世に「阿呆船」に乗せられた通過の囚人たち——ミシェル・フーコー『狂気の歴史』を読む

だが、これらの空想的あるいは嘲笑的な船のうち、阿呆船(ナレンシッフ)だけが現に実在した唯一の船である。実際、気違いという船荷をある都市から別の都市へはこんでいた船が実在したのだった。当時、狂人は容易に放浪しうる生活をいとなんでいた。都市は狂人を市域のそとに放逐しがちだったし、ある種の商人や巡礼たちに預けられなかった場合、彼らは人里はなれた野を自由にさまようことができた。この慣習はとくにドイツでたびたび見かけられた。例えば15世紀前半期にニュールンベルクでは62名の狂人が登録されているが、31名が追放され、その後50年間に、やむをえず21名がさらに出奔した形跡がある。しかもそれは、市当局に捕えられた狂人たちに限ってのことでしかない。狂人が船頭たちに預けられるという例も、しばしばだった。たとえば、フランクフルトでは1399年に、町を裸でうろついていた一人の気違いを運び出してくれるように、船乗りたちに頼んでいるし、15世紀初頭には同じような方法で、気のふれた犯罪者がマインツへ送り届けられている。

ミシェル・フーコー『狂気の歴史<新装版>:古典主義時代における』新潮社, 2020. p.27.

ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926 - 1984)は、フランスの哲学者、思想史家、作家、政治活動家、文芸評論家。フーコーの理論は、主に権力と知識の関係、そしてそれらが社会制度を通じた社会統制の形としてどのように使われるかを論じている。構造主義者やポストモダニストと呼ばれることが多いが、フーコーはこれらのレッテルを拒否している。フーコーの思想は、特にコミュニケーション学、人類学、心理学、社会学、犯罪学、カルチュラル・スタディーズ、文学理論、フェミニズム、マルクス主義、批判理論などの研究者に影響を与えている。

本書『狂気の歴史(L'Histoire de la folie à l'âge classique)』は、フーコー1961年の著作である。それはフーコーにとっては初期の著作であり、狂気という個別特定の領域の探求をとおしてヨーロッパ文化の隠された闇の部分に新しい照明をあてようとしたのである。

本書でフーコーが想定していた問題意識は以下のようなものであった。それは、ある社会や文化にはポジティブ(積極的、肯定的)な現象とネガティブ(消極的、否定的)な現象が顕在的な織目と潜在的な織目のように織り上げられており、伝統的な思想史や社会学はもっぱら前者に注目している。しかし、レヴィ=ストロースを旗手とする構造主義者はネガティブな構造を究明し、それによって文化と社会を定義しなおした。こうした新しい思想の動きを作り出す根本には、ヨーロッパ文明の危機意識、理性信仰の崩壊という広範な精神的風土があった。そしてフーコーが描こうとしたのも、理性の枠外に置かれていた「狂気」の歴史を通して社会のネガティブな構造を究明することであった。

中世および文芸復興期にはヨーロッパ社会は狂気に対して寛容であったが、その後きわめて注目すべき事件が、ほとんど全ヨーロッパ的な規模でおこった。すなわち、17世紀前半期の狂人の監禁の実施、しかも国家権力と治安維持(ポリス)とを背景にした《大いなる閉じ込め》の実施である。他方、18世紀末から19世紀はじめにかけての、イギリスとフランスにおける、いわゆる「解放」である。フーコーが行おうとしたのは、「歴史の裏面のにぶい物音」に耳をかたむけて、「目に見えぬ営み」である狂気経験を浮き上がらせること、つまり「反歴史主義的な歴史」だったのである。

一方、狂気はきわめて現代的な問題でもある。なぜなら狂気がどう規定されるかは、特定の時代や社会との関係にもとづく以上に、より深層部の文化や民俗の仕組みに関与しているからであって、古代社会から現代の資本主義社会にいたるまで、さまざまな表情を浮かべた狂人が存在する結果になったと言える。どんな社会にも制約と掟があり、それらに服従せず合致しない人間は「周辺的存在」として排除されてきたのだし、現に排除されつづけている

社会から排除され続けてきたのは以下のような人々である。(1)労働との関係で経済的に寄与しない者(働かぬ者やその能力のない者)、(2)家族との関係で通例の社会関係を結びえない者(色情狂、放蕩者、浪費家)、(3)言語・象徴との関係で異常な言辞を弄する者(神を冒涜する人)、(4)遊びとの関係で宗教的祝祭から排除される者、である。17世紀の、とりわけフランスにおける一般施療院は、これらの条件に少しでもあてはまる人間をすべて監禁したのであるが、狂人とはこの4つの排除の基準をすべて充足している存在だった。そして、現代の文明社会は新しい排除の条件を作り出していないだろうか、とフーコーは問いかけ、排除を解消する努力をも怠ってはいないのである。

本書の第一章第一部は「阿呆船」の記述からはじまる。中世初頭から存在したのはハンセン氏病(癩病)患者を隔離した施療院であった。この施療院はヨーロッパ中に広まり、大規模な監禁をおこなっていたが、患者は16世紀頃には激減し、施療院は空になりはじめる。しかしその構造は残り続けた。そしてやがては「狂人」たちを収容するようになるのであるが、その前に媒介として登場したのが「阿呆船」である。阿呆船は文学などにも盛んに登場するようになるが、これは実際に存在した船であった。町で捕らえられた「狂人」たちは阿呆船に乗せられて放逐されたのである。ここには象徴的に「水」の作用が働いている。水は運び出す役割をするとともに、浄化する作用も持っているからである。また狂人が阿呆船にのって赴く先は「あの世」である。こうした狂人の船旅は、あの世と現世との分割を越えるものであり、また通過・変転の旅であった。狂人は「関門(閾)」に置かれていたのである。つまり彼らは、外部の内側に置かれているし、また逆に内部の外側にも置かれている。彼らはこの上ない「通過者(パッサージュ)」であり、「通過の囚人」であった。

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