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未確認体験NUMA


まえがき

人間の科学や技術は日々進歩している。しかしこの世界にはまだまだ不思議なもので溢れている。

2020年4月、アメリカの防総省が「未確認飛行現象」の映像を公開した。これに対し多くの人が「遂にアメリカがUFOの存在を認めた」と騒然とした。

そんな代表的なUFOと並び不思議な存在としてUMA(ウーマ)がある。UMAとは言い伝えや目撃談、噂により実在することが囁かれているが生物学的に確認されていない生物のことをいう。

スコットランドのネス湖に現れたとされる「ネッシー」、ヒマラヤ山脈に住むと言われる巨大猿「イエティ」。これら多くの未確認な生物や現象は我々に夢とロマンを与え続けてきた。

日本を代表するUMAといえばツチノコだ。

ツチノコはヘビに似ているものの、胴が非常に太いという特徴がある。ツチノコは、縄文時代の土器にそれらしきものが描かれている、古事記や日本書紀にも存在が描かれており古くから日本の地でその存在が囁かれてきた。

全国的に知れ渡り、大きな話題になったのは、1970年代のことで、小説や漫画の影響でツチノコブームとなり、ツチノコを生け捕りにした人には、賞金を出すという地区もあったほど、多くの人がツチノコに夢を抱いた。

未確認、未発見であることは我々人類にとっての希望でありそれに向かう道中は幸福の最中にも感じることができる。ロシアの文豪ドストエフスキーは「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見したときではなく、それを発見しつつあったときである。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない」と言った。

未確認現象とそれに対する人間の反応を整理したところで、そろそろはじめよう

私が現在、探求の真っ最中である未確認体験「NUMA」のお話だ。




・1章 衝撃のNUMA体験


あれは衝撃的な体験であった。

20xx年7月のある日、私は知人に誘われ都内某所で開催される花火大会に向かっていた。

会場までは自宅から1時間ほどかかり駅は花火大会に向かう人達でとても混雑していた。私は混雑を少しでも回避するために快速列車ではなく各駅列車に揺られながら向かった。

内心では不得意な人混みに耐えてまで花火を観に行こうとあまり思えてはなかった。誘いを受けた知人からも「他にも人を誘っているから」と聞いていたため自分が行かなくても大して迷惑をかけないと思い、道中は何度も引き返し帰宅して休日の夜をしっぽり1人で過ごそうか考えていた。


「ちょっとめんどくさい」


「引き返すなら次の駅だ」


そんなことを何度も頭の中で繰り返している間に花火会場の最寄り駅まで着いてしまった。
「ちょっとめんどくさい」ことはやってみたほうが案外良い結果をもたらすと過去の経験から判断した結果だ。


人混みをかき分けて会場に着き知人らと合流した。2時間も前から会場に到着し芝生にシートを敷いて飲み始めていたという。



「はじめまして!!!!!」

私は元気に挨拶をした。

そこには自分よりも少し年上であろう見た目の初対面の女性がいた。この人物こそがまさしくNUMA体験の根源となる。彼女をXとしよう。

初対面の人には通常よりも2°高いテンションと通常よりも8倍明るい態度で挨拶するのがモットーだ。

すると、

「あっ、はじめまして!」

なんとも言えない気まずさを残しつつも明るくXは挨拶を返してきた。

こういうシーンでは、その場に居合わせる共通の知人による関係性構築に向けたアシスト(他己紹介)があってもいいと思ったが、それどころか気まずい空間を楽しんでいるかのような表情をしていた。

その後、19時に花火が打ち上がりおよそ1時間みんなで花火を堪能した。

花火大会が終わってからはタクシーで場所を移動してみんなで高架下にある哀愁漂う古びた居酒屋で飲み直した。瓶ビールケースに薄いクッションを敷いただけの椅子は30分も座ればお尻が痛くなった。

気が付けば終電は無くなっていた。

私が一晩飲み続ける覚悟を決めた午前2時過ぎのことだ。

「うち来る?」

Xがそう問いかけてきた。

私は強くは拒まない態度を示した。

しばらくしてから、Xから「私もう帰るからタクシーで家まで行こう」と言われ一緒に店を出た。

タクシーに乗ったあとはお互いにすべての眠気や酔いが覚めたかのように自分がどのような背景を持った人物なのか語り合った。

Xの自宅まではあっという間だった。

女性1人で暮らすには広々とした綺麗な築浅マンションに思えた。私たちは形式的に一杯だけお酒を飲み思い出深い一夜を過ごした。

朝起きてしばらくしてから
「また会おうね」そう言葉を交わして家をでた。

家に着く頃には正午を迎えようとしていた。

家に着いてふと一息付いた時のことだった


瞬間的にXの匂いや表情、一晩のうちに五感で得たすべての感覚の記憶が蘇り異常なまでもの寂しさとXに対する欲求が爆発したのだ。

その瞬間私は「来週また会おう」とXに連絡した。


この感覚は新感覚であり、言葉では言い表せないほどの焦り、どうにもこうにもならない嗅ぎたいという欲求、どうにもこうにもならない触れたいという欲求

一晩の関係なんてこれまでにもあったはずだがなにも気は起こらなかった。何が他と違うのか、これは一体どういうことなのかまったく整理が付かない。

私はその日ただ焦りと欲求に耐え、日が暮れるのを待つことしかできなかった。


・2章 恋かNUMAか

私はこれと近い感覚に陥った過去の出来事を遡ってみることにした。

一番に思い浮かんだのは恋であった。
だがこれには、キッパリと否定できる感覚的な根拠があった。恋はこれまでささやかな感情の動きからくるものであったが今回はドカンッ!と衝撃のあとにスローモーションで何かが砕け溶けるような感覚で、まさに「沼る」感覚だ。

恋は対面している最中には何かを感じたりするが私は正直これと言って対面している最中に特別なことを感じることがなかったのだ。

夢精、恋、催眠、幽体離脱など人間の中で起こる未だにはっきりとした理由が解明されていない体験もいくつかあるがそれに筆頭する説明の難しい体験であり、溶岩の沼から抜け出すことができなくなってしまったような現象であると感じ、私はこれをNUMA(ヌーマ)と呼ぶことにした。


・3章 NUMAとの出会い方

「心霊体験」「UFO」「ツチノコ」未確認な現象や生物は出会うことがそもそもが難しい。出会おうとしても出会うことは出来ない。
未確認生物との出会い方は、出会ったこともないため運としか言いようがないが、未確認現象と出会うには歯車を乱す必要があると思う。

実は「NUMA」と出会う少し前に私は自分の中で確変を起こそうと意識の全てを変えようと試みていた。

しばらく彼女がいなかった私は自分がどれだけの異性から受け入れられるのか興味を持ち、渋谷のナイトクラブで異性に声をかけまくったり、思い当たるすべての知人に異性を紹介してほしいと連絡していた。出会い系サービスにも課金をしてトータルで瞬間的に20名ほどの異性と同時に連絡を取り合っていた。

異性に向けたアプローチをする裏には「失敗しても狂ったように挑み続けられる精神の基盤を作る」という目的があった。そのためにNUMA体験に遭遇した当時の私は自身に満ち溢れ人生を狂わせようという意志があった。

予定調和でルーティン化された日々はとても過ごしやすく慣れてしまえば楽なものではあるが、その反面で不確実な出来事への機会損失にも繋がると思う。未確認な感情や体験が潜んでいるのは限りなく歯車が乱れた瞬間であったり、突発的な精神が変化するタイミングであると私は考えている。


・4章 警鐘

~NUMA体験の裏で進行していた出会い系サービスガチコミットプロジェクト〜

先ほどの章で紹介した出会い系サービスに力を入れた私がその経験から強く感じたことがあったので、この章ではそれについて述べさせていただくことにしよう。NUMA体験の内容とは少し外れてしまうがしばらくお付き合いいただきたい。


7月24日
出会い系サービス「with」開始。

3日目
およそ15名とメッセージ。

5日目
3歳年下の方と出会い系サービス開始後初の面会。

7日目
気になる方とのメッセージツールをLINEへと移行。

12日目
3名に絞る。

15日目
3名中2名と食事へ行く。

30日後
解約を忘れ自動課金。

現在に至る。

メッセージのやりとりは得意では無かったが、「物事をやり切る体験」こそが自分をまた一つ強くすると信じ出会い系サービスを全力でやってみた。

我々の身近には様々な出会いのためのサービスがあり人間関係もネット上で完結させることが容易にできてしまう。人に触れなくても人を知ることができるし、ある程度の関係をそこで作ることにも慣れてしまっている。それは自分が傷付くことはない距離感で都合の良い段階で人間関係を膠着させることができてしまう。

それでも人間関係にはちゃんと苦労があった方がいいとこれまでの経験から私は思う。ちゃんと面と向かってフラれてきたし、たくさんNOを突きつけられてきた過去がある。だからこそ人を傷つけてしまう限度や加減が理解できる。

異性との関係性も2番手の男でいいと思っていたら成長はしないし、何かあったら関係を切れば良いと思っていたら人への理解は深まらない。それどころか無自覚に人を傷付けてしまう可能性だってある。

一度でいいから、関係性を諦めずに努力した経験や関係性の修復に向け苦労の経験が必要だと思う。

そんな経験がない者が、SNSで人付き合いしましょうと言っても危なすぎる。

出会い系サービスなどは人付き合いが上級者レベルでないと取り扱うのが難しい。私はこれからもしっかりと目の前に実在する人間との空間を一番に大切にしていきたい。


・5章 NUMA後に待つユートピア

しばらくして、私はXと交際することになった。

いまでも彼女のどこが好きなのか問われてもNUMAによるものであって好きなところは今も探求中としか答えようがない。ただ一つ言えるのはNUMA体験の根源はXであり、Xが NUMAの生みの親なのだ。

Xと交際してからはとても気分が良い。
週末に暇を持て余すことも無くなったし、プライベートな悩みも自ずと解消されていった。

NUMA体験が人類に悪い影響を与えるのか良い影響を与えるのか問われることがあれば間違いなく後者であろう。

NUMA体験という未確認体験を経てまっていたのはNUMAの生みの親であるXが提供するユートピアであった。


・6章 人生とは探究の歴史

ここまでの章でNUMA体験について述べてきたが、ここでもう一度ロシアの文豪ドストエフスキーの言葉を思い出して欲しい。

「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見したときではなく、それを発見しつつあったときである。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない」

https://www.amazon.co.jp/白痴-上巻-新潮文庫-ドストエフスキー/dp/4102010033


探究をする中で我々は生きる意味を感じ取り知らず内に幸福になっている。

振り返れば、人生は探究の歴史だったに違いない。恋に仕事に勉強に全て探究の連続だ。

どれほど成功するか、いくら稼いだか、どこに住んでいるか、誰と友達か、その事実だけでは幸福を量ることは出来ない。その道中にどんな探求があったかが人生の充実度に比例するに違いない。

何かを探求しようとする小さな心だけは潰さずに生きていきたい。

そうすればきっとまた「未確認現象」にも出会うことができるだろう。

人生を大きく変えることはとても難しい。

毎日ほんの少しだけ前進するしかない。

しかしそれはとても難しい事実のように思う。

だからこそ道中を楽しむことを忘れないでほしい。その連続の中で、後に振り返ってみれば人生は大きく変わっていることに気が付けるのだろう。

まだまだ謎で溢れている人生の「未確認」を見つける旅にこれからも歩んでいこう。


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