六本の支柱

前回の記事の、狼少女に付き添う物語を描きました。


 

皮膚病をもった狼が、一匹の二足歩行を見つけた。
 毛並みの綺麗な艶い仲間たちは皆、二足歩行に会うといなくなったので、狼はその二足歩行を、つまりは猟師と会ったと云う。
 狼は、病のせいか気温の変化、乾燥や過度の湿潤に弱く、適温を望んで緑の中を歩いていたところだった。猟師は、肌より白い毛と背の髪をまくり、こちらを見ている。狼は猟師の、白色とのコントラスト、醸す仄か照る太陽のような気迫、自分より大きな体、そしてなにより自分をじっと見つめる、その、大気のような色をした瞳を好きになった。憧れたことがあまりなかったので、嬉しい気持ちと、恥ずかしい気持ちが生まれた。猟師の穏やかに佇まう満ちる自信のような魅力が、むずかゆく羨ましかった。猟師はしばらくそこに居て、やがてどこかへ帰っていった。
 その晩、狼は夢をみる。
 猟師に会い、話をする夢だ。猟師が、自分に会いに来たとき、周りの緑をよく触っていたので、狼は緑になった。猟師と触れ合いたかった。夢は覚める。
 皮膚病がすすむと、身体がかゆくて泣いてしまう。自分を抱えて、狼は眠る。
 あ、また猟師が会いに来た!なんだ、水を汲んで、薪をくべて、うわっ熱い!なんだ、魚を食べている。狼は緑の陰から猟師を見ている。今限り、漁師な猟師は、火のそばから狼をじっと見ている。やがて木の匂いのする風になびく木の葉の束のようなナニカに、小さな薪のやうなナニカでナニカした後、猟師はまたこちらを見たり、見なかったりして、帰っていった。
 その晩、狼は夢をみる。
 猟師に会い、触れられる夢だ。猟師が、魚を食べていたので、狼は水になってそれから、魚になった。猟師に飲まれたかったし食べられたかった。夢は覚める。
 皮膚病は自分の力だけで治すには、一度死ぬくらいの覚悟が狼には要る。自分を励まして、恥ずかしく呪いながら狼は眠った。

 その日、狼は夢をみた。
 猟師に抱きしめられる夢だった。花のにおいがして、猟師はつよく狼を抱きしめている。狼は大変嬉しかった。夢は覚めるが、狼はもう覚めなくてよかった。身体のかゆみもなくなって、恥ずかしくなくて、嬉しく猟師を思った。愛しく想った。花のにおいがした。いい日だった。ああ、いい日だった。




オオカミサイド





二足歩行サイド




 このあたりの土地は、すこし湿度が高いけれど、空気が安定しているから、生き物がすみよい環境かと思われる。さっき見たあのリスの毛並みのつややかさを思い出し、そこの木の実をつまんで、口に含んでみる。うむ、どうやら植物にとっても申し分のない環境のようであった。そこにすこし繊細な足音に似た音が聴こえる。なに、大きな獣ではない。忍びながらも素直な気配……。
 狼だ。その身体の小ささとツギハギ模様のような毛並み、警戒し怯えてもよい場面での素朴な眼差しを見るに、この狼は病気を患っており、町の猟師たちはこの狼の仲間を連れていったのだろうがこの狼を見つけようともその手は弾かなかったのだ、いや、狼の仲間のことはわからないが、この狼のことはきっとそうなのだろう。そんなことを思うと、狼は真っすぐと僕の目を見つめてきたので、僕は見つめ返すことにした。この恵みある土地をもとめて来たのか狼、その少しだけ震えた身体を抱きしめてやりたいところであったが、君を見つけたことが今日の収穫だ、僕は一度帰るが、また来るよ。

 しばらく伝染病や獣医学、環境学を志していた僕は、その土地その生物との出会いに感謝し、今一度狼に会いに行った。狼はどうやら皮膚病を患っており、この土地のような安定した気候でないと病状故生きてゆくのに酷しかったろうと想像出来た。なんとか治してやりたいものだが、自然の中で生まれ生きてきた狼に医師がくわえられる手などあるのか僕にはわからない。それを決めるのは僕と狼だが、幸い狼は四本の支柱でしっかりと立っている。焦らずに距離を縮めていこう、そうして僕はまず小川から魚を掬い上げ、薪をくべ火を焚いた。枝と石を使って魚を焼き、感謝し命をいただいた。僕が魚にのまれることがあっても、文句はいえない。
 火に驚いたのか、樹の陰からこちらを伺う狼。僕は逃げずに居てくれる狼を、いつも持ち歩く日記手帳に描いた。火が消えてから、姿を見せてくれた狼の皮膚の具合も書きつらね、僕はまた来るよ、と帰ろうとしては、僕の去り際の狼が知りたくて、ちょこりちょこりと振り返ってみたりしながら、帰った。

 しばらく狼や皮膚病を夢中になって調べをしては書き殴る日々を経た僕はそろそろあの狼の元へ行きたくなった。学を勉むこともだいじなのではあるが、この肉眼に焼きつけることを忘れてはならないと、呪文を唱えるように僕はあの土地へ向かった。

 結論、土地へは行けなかった。僕は大雪というのを目論んではいなかった。医師から研究者に続いた僕の道は、この冬を越すまであの土地へは続いてくれなかった。僕は思い馳せるしかない。狼、あの狼を忘れられない。あの瞳の奥は大気のような、宇宙彼方のような深さをして、でも確かにこちらを、僕を見ていたかもしれない。道に一度降り積もった大雪は、異常気象か尋常気象か、溶けて水になりあのすこし湿度の高い土地を守っていった。桃色の咲く春のことだ。

 僕は狼を見つけた。
 そのまわりには、向こうのとすこしちがった緑が生えていたり、なんだか見たことのないような虫がいたり、そして花が咲いていた。花が、ああ、花、花、花が咲いている。こんなに咲くのか、ここに咲くのか。僕の目に桃色の空ができていく。涙にのまれていくようだ。僕はたくわえてきた白い髭をさわって、そして白い狼に触った。ずいぶん固く丈夫になった、狼を僕は抱き上げた。
 僕は狼を抱きしめた。
 僕は嬉しかった。初めて会った日に抱きしめたかった。僕は今抱きしめている。とても嬉しかった。悲しくない。さみしいけれど、悲しくてもいいけれど、でも、嬉しかった。
 骨になった狼は、かゆかったツギハギをぬいで、白くなったあと、日の光をたくさん吸収して、輝き、あたたかい。とても、あたたかかったなあ。
 狼は知らないし、興味があるかもわからないけれど、かゆかったあのツギハギもね、君を生かし、僕と君を結んで、君の骨を守って、雪と溶けてこの土地を、虫や花たちを生かしているよ。この土地に君はいたよ。君が君として生まれてくれたおかげで、僕は今泣いているよ。とてもあたたかいんだ、ありがとうと伝えるよ。ああ、そうだ。
 また来るよ。







(六本の支柱)

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