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幸せになる方法 それは

 幸せを数えたら片手でさえ…
 不幸せ数えたら両手でも…
 子供の頃,耳にした幸せと不幸せを綴った歌。大人になって幸せはそんなにないものなのだと,大人の世界を想像した。
 入学して早々彼氏のできた大学生活は,大学受験一色の高校生活から一変し,毎日がなんと楽しい日々なのかと。社会人になりたくない,このまま大学生でいたいとさえ思う日々。しかし,現実はやってくる。
 なりたい職業を目指し,自分を追い込み、机に向かう。高校受験とも大学受験とも異なる,狭き門へのきっぷを手にするため,デートはもっぱら図書館。共に夢を語る友との語らいにもエンジンがかかる。
 こうして迎えた社会人一年生。バラ色の人生は一転。予想はしていたつもりだが,それ以上であった。親元を離れて4年間,ホームシックになることはなかったが,遠く離れての就職は,心も重く,毎週もしくは隔週,実家か彼氏の元へ。行きはよいよい、帰りは、、、。泣きながら3時間バスに揺られて帰る、いえ戻ったアパート。そこには明日からの現実が待っていた。しーんという音が聞こえる部屋は,がらんとしている。物がないだけでない。人もないからこそ,がらんなのだと感じ,変に納得する。今まで感じなかった感覚を知る経験を多くしたのがこの時期かもしれない。それまで戻りたくないと感じた高校時代よりもさらに表現し難い心重たい時代であった。私は,この先どうなるのかと。
 しかし,人生、何が幸いするかわからない。耐えられない日々が,自分にとって必要なものを実感させた。その気持ちが合致し,彼氏が夫となることになった。まだ,大学を卒業したての22歳。マリッジブルーらしきものはあったが,それ以上にそこから,逃げ出せる安堵感が強かった。
 
 けんかをしながらも、4泊5日の新婚旅行。初めての海外旅行でもあり,日本とは異なる日差しと臭い。慣れない食べ物も旅先での出会い。何もかもが新鮮で,二人でいられること自体が嬉しい。この上ない幸せ。結婚式の記憶は薄い。ほとんどの時間が写真撮影で終わったことに加え,さまざまな残念な出来事がその記憶を上書き保存させた。慣れない日本髪のかつらが気になり,落ちそうで何度も直す姿がおかしかったと後から聞く。夫の友人は,回数を数えていたとか。なんともお粗末。もっとカツラ合わせをしっかりしておくべきであったと後悔。が,終わってしまったことは,仕方がない。楽しみにしていたウエディングドレスも髪を切り過ぎ,ストレス太りて、心残りばかり。そのことが50歳を過ぎて夫を誘い再びウエディング撮影をすることになる。幸せは,自己満足なのかもしれない。
 喜び勇んで嫁いだが,現実は甘くなかった。
 新婚旅行までが夢の世界。家に着いたら,そこは我が家であって,我が家ではなかった。住み込みの嫁生活が始まった。
 優しい人達ばかり。何も不満はないはず。しかし,家族として入れない,緊張感が走る。夫はといえば,楽なもの。私は誰と結婚したんだ。疑問の日々。誰が夫。一番はお姑さん。夫は、優しい人。何事もないのが一番。誰に味方することもない。それがうまくいく秘訣と思っている風。味方すべきは嫁だろう。ツッコミたいが、言うてわかるなら,とうにしているだろう。そう脳天気でいることが一番と判断したのが彼らしい。今から思うに彼なりに気をつかっていたのであろうと思う。私の望む形ではなかったが。正直者の夫が,昔ゲームにはまって,仕事が終わってからずっとしていて帰りが遅くなっていたことを暴露した時には,腑が煮え繰り返ったが。その時に知っていたら,今でいうDV妻になっていたに違いない。私の苦労も知らずにってね。
 そんな夫も結婚して40年弱、いいお父さんを経て孫にメロメロのかわいいじいさんになった。その幸せそうなじいじの姿を見ると,「今が幸せ」を実感する。その時々で,幸せが上塗りされていく。よくお年寄りが「今か一番幸せ」と言っているのを理解できなかったが,そうなのかもしれないと感じる。大好きだった父親,何時も守ってくれた頼もしく優しい父親は今は亡いが,夫が代わって私を常に守ってくれているのを実感する。
 孫は可愛い。愛娘も変わらず可愛い。生意気な口を聞き,腹を立ててはケンカになるオーバー30の息子達だが,いつも至らぬ母を守ってくれている。いくつになつても愛おしい私の大切な息子達。そんな家族に恵まれてきた私の横にいつも寄り添ってきてくれた夫。よくつれあいは空気のような存在というが,私にとっては,唯一無二の存在。腹立たしいことも少なくないが,夫の幸せそうな顔を見るのが一番の幸せ。頑張っている姿が眩しい。彼の喜びが私の喜び。彼の幸せが私の幸せ。心配症の私は、彼のすることが心配になって,口を出しては嫌がられる。忍耐強いから我慢してくれていることも多々ある。ごめんごめんと手を合わせながら過ごす日は。最近はご飯もろくに作れてない。それでも,私が大切と口に出して伝えてくれる夫は最高の夫である。
 大学時代に付き合っていたからはどんなからだったのか,今思うと失礼なこともいっぱいあったかもしれない。なんで好きになったかわからないが,あの時好きだった彼とは同一人物だが,その彼と今の彼(夫)とどっちが好きかと聞かれたら,迷うことなく答える。今の夫であると。そう思える私は幸せ。
 約15年前,夢を問われて,「夫と一緒に孫守り」と応えた私。今願うこと。それは,「二人で元気に歳をとること」そんな幸せなことはない。今はそう思う。 

 幸せになる方法 それは,幸せでいる方法。
 幸せはやってはきません。
 好きな人がいること。
 大切に思える人がいること。
 心配してくれる人がいること。
 それらが当たり前ではないことがわかることで,自然に感謝の気持ちが生まれてきます。
 私は,還暦になっだというのに,不平不満をすぐに口に出す残念な人間です。でも,私は,人に恵まれてきました。素敵な出会いをたくさんさせてもらいました。ありがたいことです。よい縁がたくさんの方に繋がって、みなさんか幸せの作り手になれることを❤️から願っています。

創作大賞2024

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