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実家の片づけをして知った 母の思い

 入院し、再び元気になって家に帰る日は考えられなくなったころから、家の片づけを始めた。
 まずは、毎日過ごした居間。
 甥っ子が準備してくれたこたつが、グループホームに入った1月からずっと出しっ放し。そのテーブル上には、日々使っていた化粧品の数々が。いくつになっても、きれいでありたいと願った気持ちの表れか、お付き合いなのか、私は買わないであろう高価な化粧品たちが並んでいる。
 「お母ちゃん。」とつぶやきながら、箱に詰める。もったいないから使おうかとも思ったが、皮膚のトラブルの元かもと。いえ.私も使わなくなった化粧品たちを先日たくさん処分したばかり。欲しいと思って買っても、結局合う物しか使わない。私は、母の子なのだと実感し、一人失笑。
 ふりかけやら、しょうゆやら、食事に使う物たちもまだ使えるものを残し処分し、ようやく、テーブルの天板が見えてきた。

 次は、10年ほど前にリフォームした台所。さらに3年前ほどに取り換えたIHコンロは、鍋やボール、調味料でいっぱい。料理どころか、お湯を沸かすこともできない。とにかく、封の空いた食料品は処分。
 続けて鍋を処分。尋ねると、鉄くずやさんが買取してくれた。母の財産が小金とは言え、価値が認められるのがうれしくなって、捨てるよりはと持って行った。「ほとんど使っていない立派なすき焼き鍋」より「昔ながらのアルミ鍋」がいいお金になったのには驚いた。
 そうなると、「これはいくらになる?」要らない物がお金になるのが楽しくなって、片づけと同時に換金に拍車がかかる。後から、携帯の充電器も処分してしまい、妹家族に叱られる。これは大失敗。危うく、電動自転車の充電器まで処分しそうになった。こわいこわい。
 これから、片づけする人は、何をどこにやるといいか、知っておくのが得策。されど、夢中になり過ぎて、必要なものまで処分することなきよう、要注意です。
 
 さらに気になったのが。母が楽しみにして育て観賞していた植木鉢の草花たち。もう枯れ木となった植物たちは、申し訳ないけれど、処分させていただくことにした。
 暑い日、タイムリミットを感じて、夫にも手伝ってもらい、植木鉢、土、枯草に分別した。帰りの車は、それだけでいっぱい。枯草はごみとして処分。たくさんの植木鉢たちは、使うあてもなく、埋め立てごみの日に出すことに。しばらくは、わが家の倉庫で保管。そして、たくさんの土。結局、わが家の花壇に入れることに。

 そうやって、家をきれいにしていく中で見つけた母の思い。
 残される私たち娘に少しでも迷惑をかけまいと、母が必死に終活をしていたことがうかがえた。

 祖母が毎年漬けていた「大きな梅干しのかめ」
「処分したいけど、どうしていいかわからん」そう書かれた大きな紙がついていた。

 そして、嫁入り道具に持ってきた着物であろうか。染み抜きをしては、きれいにたとうしに包んでしまってある。自分が忘れない意味もあってか、一つ一つに何の着物か書いてある。
 母らしい。そういえば、私の嫁入り道具の着物にも、一つ一つ、着物の名前とそれに合わせた長襦袢も記してあり、嫁に来てどれを合わせるのか困って尋ねることはなかった。

 掃除は得意ではなかったが、変に几帳面で、好きなものや大事なものはきちんとファイリングしたり、ポーチに入れて取っていた。そのおかげで、私達も母の大切なものは見つけることができた。

 そして、母が大切にしていたもの。
 一つ目は、母のお気に入り。布と糸。
 戦中の真っただ中に小中学生だった母は、高校に進むことなく洋裁の学校に行きその後勤めた。手先が器用だったこともあり、子供のころ、よく母と私と妹の3人おそろいのワンピースを着ていた。
 そんなこともあって、お気に入りの布を集めていた。何か作りたかったのだろう。そして、たくさんの糸。50種類もあろうかという色の糸がお菓子箱いっぱいにあった。
 決して片付いているとは言えない部屋に、それらは裁縫箱とミシンと一緒に置かれていた。

 二つ目が写真とはがき
 私たち家族、妹家族の写真に父の兄弟の家族写真まで。それに、年賀状。
 父の弟たちの学生時代や独身時代の写真まで、大切に保管してあった。
 また、甥っ子、姪っ子(私のいとこ達)からの写真付きの年賀状も大切に大切にとってあった。
 長男の嫁として嫁いだ母にとって、「家を守る」ということは、父の家族・親戚も守っていくことであったのだとつくづく感じた。

 笑えたのは、「手作りちりとり」。
 決してお金がなかったわけではない。気に入った箱で作ったちりとり。かわいいリボンをつけて、つるしてあった。
 私達に言わずに友人とこっそり出かけた台湾旅行。80歳を過ぎて初めての海外旅行。しかし、おなかを壊して入院し、私達の知ることに。
「ごめん。あんたらに言うと、無駄遣いしてと叱られると思って。」
 一生の間でそんな楽しみができたのなら、よかった。
 私達がしてあげられなかった楽しみを友人とできたのは、本当に良かったと思ったのだが。
 母は、以前、よくない業者に勧められ、高額のコートやカバンを次々に購入していたことがあり、それをとがめたことがあったのが引っかかっていたのだろう。
 母のお金だから、母の自由に使えばいい。でも、お金を持っていると思しきお年寄りを狙う業者や人がいることは間違いない。現に、かかってきた電話を取った時、母でないのを確認し、すぐに切られてしまったこともある。
 後に、甥っ子が迷惑防止装置を電話につけてくれた。

 お金を守ろうとする母は、それをもって、
 家を 残された家族を そして 今まで残してくれた父や祖父母の財産だけでなく、名誉や尊厳も守っていたのだろう。
 家を出、かつ、引き継いだ私達は、それをどうやって守っていったらよいのであろう。
 考える。

 亡き者を大切の思う気持ち
 残されたものを思う気持ち
 どれも母と変わることはない。

 されど、母が一番残したかったもの
 それは、これ

 「仲良く手をつないで進もう ありがとう」
 「輝く人生を」

 母の思い、願い
 残された私たちができることは、その母の思いを大切にしていくこと

  
 
  
 


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