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【日記】サボりたい、いやサボれない
これを書き始めたのは22:56。あと1時間もすれば日付が変わる。あと1時間たてば、連続投稿記録が途切れる。あと1時間でduolingoの連続記録も終わる。
サボりたい、いやサボれない。
それまでの積み重ねが重い。締切と同じで、目の前に迫ってくると、突然にその重さを感じる。これまではへっちゃらだったのにこの差はいったい何なのか。日常生活を送っていてもそうだろう。
同じじゃないかもしれないけど、代わり映えのない毎時間、毎分、毎秒を過ごしていて、突然にしてその価値がガラりと変わる。
「時は金なり」という言葉がある。ホリエモンだっただろうか。「渋谷の1時間と鎌倉の1時間は違う」みたいなことを言っていた。オフィスの賃料で考えると、1時間当たりにかかるコストが違う。そんな話だったような。これがどんな文脈で出てきたのかは忘れた。渋谷で働くのは、鎌倉ほどちんたらしていられない。みたいな意味だったような。
この「時は金なり」という言葉。アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンが言った言葉だ。ずーっとまとめたいと言っていた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で当時を支配するエートスとして書かれている。エートスは規範、倫理のようなもので、言わば「常識」と言われていることだ。「お金を稼ぎたいのなら、時間をお金のように使え」というのが常識。
「エートス」と聞くと、「よくわからん!」となってしまうが、「当時の常識」や「当時の自己啓発に書かれている成功の法則」みたいなもので捉えると分かりやすいんじゃないかと思っていいます。
(キリスト教のメソジスト派はmethod(方法)に語源を持つ宗派で、教義を大衆に向けて分かりやすく説明し、実践を促しています。これはまさに自己啓発本やhow-to本と同じです。堅苦しい本を読まなくとも、そこに書かれている成功のエッセンスを分かりやすく解説し、「どうやって使うのか?」を広めることを目的にしています。)
私が悩んでいる「積み重ね」という話もカトリック的なもので、教会の教義を守りながら、規則正しい生活を繰り返し積み重ねることで救われるとされています。逆に、プロテスタントは、労働こそが神の栄光を増す手段であり、働いた成果こそが自分が救われるための印を得る手段になるとされています。「過程か、結果か」という二項対立もカトリックとプロテスタントに見られるのだなと思いました。
そう考えると、私の悩みは記事を書いて数字を出すことよりも、記事を書き続けることに由来しているので、カトリックよりなのかなと思います。
「まとめたい!」と思っている本の内容も一気に書くのではなく、こういった日常的な話の中に少しずつ織り込んでいくことの方が気楽なのかなと思いました。一度にまとめることで、全体や流れはチェックできるものの、「え、私の理解はこんなもん」と、自分に失望しそうです。
何事を学ぶに当たっても、自分の現在地を素直に受け止めることは大切です。しかし、溜めすぎると逆にこれまでの時間が無駄に思ってしまうので、小出しにしていくことがストレスの解消になるかもしれません。これも「積み重ね」ですね。
P.S.
23:43。duolingoやります。