UNOの歴史
数学を勉強したくて、『虚数の情緒』を読んでいる。
1000ページあるとても分厚い本。しかし、パラパラっと見ると、中学から大学までカバーできる内容になっている。
ごく一般の教科書とは違い、淡々と数学的なことが書かれている訳ではない。国語・歴史・化学・物理といった他の教科の内容を交えたり、身近な話取り入れて数学を学べる。
ひたすら計算するための本というより、半分以上読み物といった側面が強い。
昔はこういった本が苦手だった。具体例に乏しく、「こういうことか!」と理解したつもりでも、問題演習をすると「え、どうやって使うの???」とちんぷんかんぷんになることが多ちからだ。
今と昔で何が変わって好きになったか?と言われれば、難しい。1つ言えるのは具体と抽象の行き来が少し出来るようになった。具体的なことを聞いて、「抽象化するとこういうことか、」。抽象的なことを聞いて、「具体化するとこういうことか、」と。
これができるためのコツと呼べるものはなく、「あーでもない、こーでもない」を繰り返すしかないとしか言えない。
この行き来を訓練していると「この抽象化(具体化)は合っているのだろうか?」と、どうしても答えを探してしまう。それは今でも変わらない。
さらに面倒なことに、抽象化・具体化を人に話しても理解してもらえない。これが「本当に合っているのか?」をさらに疑問視させる。
そんな側面があるので、具体と抽象の行き来を訓練するのは非常に難しいように感じる。
たまに本を読んでいると、以前考えたことが偶然書いていることがあり、「ああ、合ってたんだ」と納得する。だが、そんなことは中々ない。
ここまで書いてみれば、合っているのかどうかはほとんど分からないというのが正しい。思い込みで「合っているに違いない!」と判断していだけだ。
*
前置きの方がもはや長いかもしれないが、そんな『虚数の情緒』を読んでUNOの歴史について思ったことを書いておく。
まず、UNOはカードゲームだ。
多分、知っていると思う。
手札が1枚になったら、「UNO!」と宣言しなければペナルティーが与えられる。
でも、この「UNOって言葉はなんだ?」と思った人も少なからずいるはずだ。大体はルールを理解して終わる。それが今になって数字の1を指していることに気づいた。20年越しの伏線回収だ。
『虚数の情緒』の自然数の項目で、各国語の数字の読み方が書かれている。そこのイタリア語とスペイン語の1の表記に「uno」と書いてあった。
「1でuno」。「あー、そういうことか!」とひらめいた。
ということは、「スペインやイタリア発祥なのか?」と思ったりした。実際に地図上でも近い。
WikipediaでUNOを読んでみると、アメリカの理髪店が発祥と書いてある。
「あれ?違った」と思った。
これ以上のことは書かれていない。
私の憶測を書けば、アメリカはスペインからの移民も多い。その点から考えれば、スペインを先祖に持つ人がunoを開発したんじゃないか?とも考えられる。
数学とは全く無関係だが、こういった歴史的な知識もあると理解が深まる。『虚数の情緒』のような横断的な教材が世の中にもっとあれば、勉強嫌いな人も減るんじゃないかと思っている。