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対象年齢を気にしてモノを買う必要はあるのか
おもちゃコーナーで買い物をしている親子がいた。
少し離れた場所にいたので、詳細な会話は分からないが揉めていた。
おそらく、子どもが買いたいものを選んでいたのだろう。それに対して、「対象年齢は4~5歳だよ、今何歳なの?」「幼稚園児が買うものをやるの?」みたいなことを親が言っていた。
結果として何を買ったのかは知らないが、何かしら手に持っていた。
これに対して疑問を感じた。あまり親から言われたことはないが、まあ気持ちとしては抵抗があるのは分かる。
学校の勉強がそうだろうか。自分の学年より下の勉強からやり直せと言われたら少しイラつく。けれども、今やってることの土台ができていなければ、その問題が解けないのなら悔しいけれどもやる。
高校からは範囲が膨大になって、そんなことすら気にせず、「できるのか?できないのか?」と学年など気にせず、並列に考えていた。
昔はアニメやゲームは子どものものとされていたが、今は大人も平気で見る。ガンプラや人形遊びをとっても好きな大人はいる。
最近は、スポーツやプログラミングなど対象年齢に至ってなくとも早く始めることが美徳とされているように感じる。
受験勉強もそうだ。中高一貫の進学校はカリキュラムを先取りしてどんどん進んでいくと聞く。カリキュラムも対象年齢のようなものだと思う。小学生が高校生の内容をやっていたら、「対象年齢より早い」と思ったりしないだろうか。
そういった面を考えるのなら、対象年齢を気にして子どもに何かをさせるのは、横並びを助長し、より集団から離れない意識を根づけることにつながらないだろうか。
もちろん、残酷な描写や性的な描写が入るものは対象年齢があるべきだ。簡単にマネをして人を殺してしまったり、子どもを産んでしまうと大変だ。
私自身、なにかを勉強する時は、少し恥ずかしいと思いつつ、「中学生でも分かる〇〇」とか、「高校生から始める〇〇」というシリーズから始めることもある。
分からないのだがら、まずは簡単な物に手をつける。そこでザックリと理解してから専門的なことに踏み込む。そうすることで、「ぼやかしていた事を専門的に言うならこういうことか」と細分化していく。
この勉強方法のほうが分かりやすかったりする。
意識は変えられないので仕方ないのだが、「恥ずかしい」と思ってしまうのをどうにかしたい。
海外の教育を見ると、留年は当たり前で、理解していないから進級できない。しかし、日本ではとりあえず前に進める。このことが自分の年齢より下のことを学ぶことに抵抗感を与えているのではないかと思う。
大人だって、子どもが対象年齢のものをするんだがら、その逆があってもなんら不思議ではないと思う。たとえ難しくて理解できなかったとしても、「やってみたい」という気持ちが継続して「できる」につながると思っている。