昨日の記事は1ヶ月前の10/12に8割方書き上げたものでした。
(ハッシュタグに「熟成下書き」を入れています。そもそも1ヶ月前のことを日記と言ってもいいのか?)
昨日、「何を投稿しようか?」と悩みながら、溜まっている下書きを読み返していました。そんな中の1つです。
文章量的に申し分なかったものの、読み返してみて、「続きが書けなくなって途中で投げ出したんだろうな」ということが容易に分かる内容でした。
そして、「この文章の結論をどう持っていこうか」と悩み、社会的な価値と人類的な価値の違いに触れていたことから、「社会的な疎外されても、人類から疎外されていない」という、どこかで読んだ表現を後で加えるのを忘れてしまったことに気づいてつけ足しました。
ここで終わってもまあ良かった(全く良くない)のですが、「終始何書いてんだろ。」感はぬぐえませんでした。
そこで、内容が理解できなかったので、chatGPTに解読をお願いしました。笑
以下がchatGPTによる解釈です。
自分で書くのもなんですが、自分が考えてた以上に鋭い考察でした。
(書いた当時はそんなことを思っていたのかもしれません。)
一番ハッとさせられたのは、「舞台」という言葉を「社会活動」に当てはめたことです。考えてみれば、社会活動をするためには、何かしらに認められる必要があります。
(資格や届けなど)
そんなchatGPTの解釈を受け、自分なりに以下のように解釈しました。
自分の文章に対するこの解釈が的を得ていることを確認し、最後にこの文章を入れて締めくくりました。
書き終わってからも、自分がこう考えてしまうことに疑問を覚えました。疑問点が以下です。
「私が社会を担う」なんて書いてますが、あくまでも年齢的な意味で、現役世代のいち個人と捉えてください(大層なことは考えていません)。そう思っているからこそ、舞台に立つことが全てだと思い込んでいて、お客さんの存在がいてこその舞台なのに、大切なことに気づかない。
そんな視点から書いているからこそ、お客さんは社会の一員ではなく、社会から疎外されていると捉えている。
自分の人生で考えても、誰かあかの他人が自分の人生を見ていると思えないのと一緒です。自分の生きている人生そのものが社会であり、自分の人生を見る側の視点に立てないからこそ見えない。
*
というところで、まあ、この辺にしておきましょう。
この文章は全く需要がありません。
「自分の過去に書いた文章を理解する」という試みが自分の中で新しいと思ったので、書きました。
「なんとなく以前書いたかも?」くらいの分析をして、引っ張ってくることはよくあります。ですが、ここまで逐一チェックしながら「私は何を書いているんだ???」と考えたことはありません。そういう初めての機会として書き残しておきます。
(もしかしたら、こういうネチネチした文章が増えるかもしれません)
では。