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勝つのではなく、負けない
何を書こうか、下書きを漁っていたら発見した。
abemaの町田ゼルビアのドキュメンタリーについて書こうと思っていたのだった。
もうドキュメンタリーの全編無料公開は終わっていて、1話しか見なかった(と思う)。気づいたら終わっていた。おぼろげな記憶しかないが、タイトルにあるような、「勝つのではなく、負けない」みたいなことをどこかで言っていたような気がする。
私の昔話になるが、部活動で卓球をしていた。卓球で「勝つのではなく、負けない」の論理を考えれば、とにかく返球し続けることに当たる。そうすれば負けない。勝ちたくてボールを打ち返すのではなく、ボールが来たからただ返している。これも勝つのではなく、負けないなのではないか。そこに意志入らず機械的な作業。
そんなことは言っても、あくまで理想論でしかないから、相手が返しづらいように工夫して返球する。緩急をつけたり、コースをついたり、回転をかけたり。もちろんこれらは複合して行われる。
「ミスをなくす」。どのスポーツでも言われることだと思う。卓球において、速すぎて返球できないことはミスになる。バドミントンでもそうかもしれないし、野球でもそうかもしれない。しかし、速すぎて目に捉えられないボール・羽を返せないことはミスになるのか。
ミスと言えるのは、改善すべきできる点が分かっていることで、何をすればいいか分からないのはミスとは言えないのではないだろうか。
卓球やバドミントンの場合は、相手が速球を出せないコースをつくことで自分が見えないボールを受ける機会は減らせるかもしれない。そういう意味では、相手に速いボールを打たせたことはミスになる。私のここでのミスの定義は改善点が分かることだからだ。
だが、野球はどうだろうか。地区大会に大谷翔平レベルのピッチャーが出てきて、ボールを打てないことはミスと言えるのか。メジャーの茂野五郎でもいい。自分の身体能力的に届かないものに対して、どう立ち向かっていけばいいのか。
例えば、ひたすらバントを狙ってピッチャーの体力を減らす作戦や、タイムや独自のルーティンで相手をイラつかさせることが考えられる。誰かが塁に出れば、リードで気を散らせるかもしれない。
姑息な手段かもしれないが、自分ではなく相手をどうにかさせる方向へと舵を取るしかない。それにしても、最後はボールを打たなければホームへ帰ってくることはできないだろう。バントなりで相手の速球に目を慣らして最後は打つ、というなんとも精神論・根性論的な話になってしまう。
野球において、勝つのではなく負けないという戦略は守備しかない。自分が点数を取れないのなら、相手にも取らせなければいい。
弱小チームが取る手段は、ひたすら守備なのかもしれない。攻めれないけど、守備は固いチーム。そして、姑息な作戦で相手をイラつかせる。邪道かもしれないが、自分が「弱い」と感じたときには自分をどうするのではなく、相手をどうするかを考えたらいいのかもしれない。