中古と新品
何が何でも新品派だった。
所有欲もあったかもしれない。誰にも触れられていない私だけのものみたいな。
世の中に出れば、「新品」と言えど、誰にも触れていないように見えて、誰かが触っているのは当たり前のような気がした。
子どもの頃はそれなりに機械的に作られて梱包されているんだろうと考えていたけれども、どうやらそうでもなさそうだ。
今となっては、中古でいいと思うものも出てきた。ゲームや本なんかはそうだ。
どちらも見た目の「側」が大切なのではなく、「中身」が重要なことに気づいた。
「ゲームや本から得たいのは体験や情報なので、見た目の体裁はあまり気にしなくていいな」と。
何が何でも新品ではなく使い分けが大切だ。
新品がいいと思うのは、
中古なら、
どちらにしても、精神的な面が強い。
記事のはじめにも「所有欲もあったかもしれない。誰にも触れられていない私だけのものみたいな。」と、精神的な面で新品を選んでいる。
書いているうちに思い出した。私は「誰かの引き継ぎは嫌で自分が0から始めたい」という気持ちがあった。
けれども、世の中を見渡してみればほとんどが先人の引き継ぎなので、自分が0から始めることなんてそうそうにない。まさに巨人の肩に立って私たちは生きている。
何が書きたいのか分からなくなってきた。
…
…
…
心の変化だろうか。もう少し視野を広く持てるようになった。
この世界はある程度、機械が動かしていると思っていたけれども、人間が機械的な動きをしていて、人間が動かしている様に見えないだけだった。
新品=人間の手が触れないもの、だった認識が変わった。
「まっさらから」「0から」がある意味、新品を表していた。けれども、この世はそんなものではなく、誰かの手が加えられたモノ(中古)の組み合わせだったり、変化で作られている物も多い。