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本から本に逃げる
*投稿する前にこれから書こうと思っていることは終わっているかもしれませんが、自分の逃げ道、リラックスする思考回路を作る意味で書き残しておきたいと思います。
今、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を読んでいます。
これがめちゃくちゃ難しい。古典を何冊か読み終えて、「古典も意外と他の本と同じく読めるかも!?」と調子に乗った矢先、壁にぶち当たっています。読むのと理解するのを含めておそらくまる1日は使ったと思われますが、おおまかなくくりが分かってきただけで、わけワカメです。
ザックリ書けば、今の私たちの働き方の精神に関する話が実はキリスト教由来だった?と思ってしまうほど、似通っていることが書かれています。日本は無宗教だと言われますが、私たちが気づいていないだけでその考えが染み渡っていることを痛感させられます。
分かったところで現実は変わりません。しかし、私たちはそういう考えの中で生きていると認識するだけでも、「これが絶対なんだ!それを守れない私はダメなんだ!」とは思わなくなります。歴史的な背景から、「私たちが生きる文化の上ではこういう価値観が根づいていて、それが私たちの世代にも脈々と受け継がれている」と少し俯瞰的に見ることができます。
誰かと考えが合わなくても、「あなたはこうでこれらの価値観で生きているんだ」と分類するようなイメージです。そうすることで、自分が受けるダメージが減ります。頭でっかちとか言われるかもしれませんが、何も知らずにそれがさぞ当たり前と思っているよりはマシだと思います。
まあ、そんなことを頭の片隅に置きながら、読んでいるのですが、ここまで具体的なことに一切触れてこなかったことが理解していない証拠です。頭の中がぐちゃぐちゃしている状態で、おそらくそれなりに1本の線になりそうな感じはするものの、書き起こした時に接続詞が上手くはまらないか、まだ見えていないところで躓くというような状況です。モヤのかかった完成図が見えていて、非常に鮮明なジグソーパズルのピースがある状態とも言うべきでしょうか。
とはまあ、こういった本を読むのは疲れます。そういうときは小説やエッセイに逃げています。それら2つはアウトラインがザックリ分かれば十分楽しめるので気楽に読めます。もちろん細部に気になった言葉があれば調べたり、書き留めています。
同じ読書でも向き合う姿勢が違うというか、真剣にならずとも読み進められるのがいい。一文一文をじっくり読まなくても内容が理解できるからでしょうか。流れでなんとなく情景が分かる。反対に、難解な本や理解したい本はその一文が重要で、読み飛ばすと話に置いていかれる。そんなところに神経を使う。
P.S.
残念ながら、理解は終わりませんでした。終わると言っても諦めたところが終わり、みたいな感じですが、