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ゆっくりでも

今はもう
大丈夫だから
言葉にできる事です


あの年は
本当に辛かった……

10倍ポジティブに
考えても
そう言ってしまうくらいの
出来事でした


色々思うところがあり
音楽続ける事に
迷いや苦しみが伴うように
少しずつ何かが
蓄積し続けていて
多分それは

大きな壁にぶち当たっている
とか

スランプ
とか

そういう風にいうもの
だったと思います

仕事は いたって順調だったから
心と日常の間に生じた歪みに
酷く目眩を起こしていた感じです

唯一それを相談していた
まるで太陽のように
明るくて暖かい
身近な友達は
毎回笑い飛ばしてくれて
どこかに連れ出してくれて
美味しい物を
食べに行ったりして

常に私が
前向きになれるように
そばにいてくれました

そんな彼女が
何も言わず
自ら生きるのをやめたことは

私にはどうしても
受け入れられない事で
自分を責め続けました

あの日
私の誕生日に
お祝いの連絡を2度もしてきて
様子がおかしいのに
何となく違和感、くらいには
気づいていたのに

「話したいことがあるから
年明けにでも」

と言った彼女の言葉に

なぜ
「今から話して」と
返さなかったのか

後悔ばかりでした

何度も何度も
もう実体のない彼女の
笑顔に向かって
「死にたいと言っていた私なんかが
いまもまだ生きていてごめん」と
謝る日々でした

飲み散らかした
大量のビールの空き缶
梁にくい込んだロープの痕
白い布がかけられた
息をしていない彼女

悲しみよりも
自責が遥かに上回って
泣くに泣けなかった見送り

追い討ちをかけるように
流行り病の世の中になり
今度は演奏の仕事が
次々とキャンセルになる日々

生きてる感覚が
存在している感覚が
1つ息をする毎に
どんどん消えて行きました


記憶がほとんど無いくらいの
あの2年

そこから
ゆっくり
ゆっくり

周りの人達に
見守られ
助けられ

今、ここに
まだ私は
存在しています

彼女と親交のあった
人達が皆
私を見つけては同じ言葉を
かけてくれた事に
救われる事もありました

「『もももは癒し。あたしの癒し。』
いつもそう聞かされていました。
初めまして、もももさん。
でも初めてじゃないみたい。」

彼女がいたどの場所にも
彼女が話していた私が存在し
彼女がいなくなってから
繋がった人が沢山います

完全に
調子を取り戻した、とは
まだ言えません

でも私は
取り戻します
必ず

あんなに仲が良かったのに
私のピアノを
1度も聴いてもらって無かった
彼女にむけて

よし!聴いて!!
私いい感じに弾けてるでしょ!?
最高でしょ!?

と言える時は
絶対遠くない

ゆっくりでも
歩みを止めないと
誓ったから

私は後退しません
これからも
上達し続けるし
癒しの音を出し続けるし
めちゃくちゃ沢山の人達に
その音の世界を届けるし
みんなから愛される奏者になるし


音楽と存在し続けます


私、少し
強くなったよ







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