父の誕生日
昨日は父の誕生日でした
プレゼントを実家に置きに行き
父には携帯に電話をして
直接お祝いの言葉を伝えました
私は父と仲が良いです
そして父を尊敬しています
私が小学生だった頃
父は勤めていた会社を辞め
独立し、経営者となりました
それまで真面目にひたむきに
仕事をして来た父には
沢山の揺るがない人脈があり
父と一緒に仕事をしたい、
という人達に常に囲まれて
仕事はとても充実していました
経営者としての
大変さはあったでしょうが
おかげで私は
金銭面でも、逞しくなるにも、
恵まれた環境で育ちました
父がこどもである
私と弟に言っていたことは
とてもシンプルでした
・努力をしなさい
・人の役に立ちなさい
・自分の足でしっかり歩みなさい
・男女平等
のちに事業を始めた私に
全てが深い要素となって
反映されました
私はお金の苦労無く
育てられましたが
親のお金をあてにして
贅沢をしてきたわけではありません
高校に入ってからは
アルバイトをして
自分の学用品購入やお小遣いを賄い
親からはお小遣いを貰わない生活
ともすれば、
まだアルバイトのできない
弟にお小遣いを毎月渡していたくらい
「自分で稼ぐ」ということを
早くからしてきました
大学で株投資
(それが後に
結婚して家を建てる時の
頭金に)
本格的に
演奏活動や指導者をして
お金を貯め
更に学ぶために短期で海外へ
どうしても
カスタマイズのピアノが欲しくて
結婚資金として貯めていたものを
結婚する時に
嫁入り道具代わりに
発注
そんな人生です
そういう生き方を
父はとても応援してくれ
正しく見る目を養うように
常に教えてくれました
こんなふうに書くと
とても厳しかったように
見えますが
真逆です
私からの携帯電話の着信には
「世界一可愛いもももちゃん」と
登録していたし
思春期の頃
美容院行きたての
私の髪の毛を
「似合うね、可愛いね」と
少しだけ父が触れた時
私が少し強く
「触らないで」と
言ったら
数日、夜な夜な
お酒を1人で飲みながら
泣いてたらしいし(母談)
私が彼を初めて
家に連れていった時なんて
叔父叔母(父の兄弟)に
片っ端から電話して
「くるべき時が来てしまった」と
泣いていたらしいし(叔母談)
そんな父、
私たち子どもがひとり立ちし
定年の歳になったら
会社をあっさり譲り
ある日突然(母は勿論知ってたけど)
大手企業に派遣として
雇用される側になりました
「お父さん、派遣になったよ」
なんで嬉しそうなのか
その時は理解出来なかったけれど
「凄いだろ!?お父さん、有給あるんだぞ!」
「旅行いこ!ボーナス貰っちゃった」
「お父さん、今度会社で表彰されるんだよ」
はしゃぐ父を見て
「苦労した」とは
一言も漏らした事ない父も
並々ならぬ事を
沢山
乗り越えたんだろうなと
感謝の気持ちで
いっぱいに
なった事を覚えています
今もまだまだ現役
その分野での
1級の国家資格始め
数々の周辺資格や
今までの信頼と実績があるからこそ
必要とされ続ける父
派遣先からは
「働けるうちは来て欲しい」と
社長直々に言われるほど
父の背中は
永遠に
私の人生のお手本だし
永遠に追い抜けないなと
思っています
昨日の父との会話
「お母さんはお前たちが出て
早起きしなくなってから
ずっとお父さんが毎朝
自分で弁当使って
朝ごはん作って
コーヒーいれて
お母さんを起こしてるんだよ」
自分の仕事が忙しかった時に
苦労をかけたからと
体の弱い母に
詫びるかのように
現在とても献身的な父は
自分の誕生日の昨日も
コーヒーをいれる香りで
母を起こしたようです
それもとても楽しそうで
ひとつの事を納得するまで
ひたむきにやり遂げたあとの
人生はこんなにも
穏やかで幸せなんだなと
思います
お父さん
お誕生日おめでとう
私もお父さんのように
生涯現役の人生を
歩みたいと思っています
長生きしてね
また、コンサート
聴きに来てよ