事故から6年 区切りをつける
こんばんは。訪問ありがとうございます。
もう少しで、三女が西興部村の保育園バスで置き去りにされてから6年。そして、この時期は誤診で結核病棟に入れられていた時期なので毎年テンションが下がる。最近も起き上がれないほど気が滅入っている。三女がちょっとでも見えないと不安になる。
このネガティブな思い出をポジティブに変えるにはどうしたら良いか。
今、この6年間の活動をまとめる作業をしている。子ども達が載った新聞の切り抜きをまとめたり、ラミネートしたりしている。
6年前、当時の園長が私に約束したことがある。「安全安心な村を作っていくため最大限努力をする」そして、彼は村議になった。村議は一般人に比べて村を動かしやすい。
毎年、事件の日には何かしらの報告があるはずだと思って待っていたが音沙汰全くなし。まさか責任逃れのための、口からの出まかせじゃないよね。公約は守らなくちゃ。
子ども達は、安心安全な日本になるようたくさんの活動をしてきた。これを元園長に届けて、彼のこの6年間の活動報告を聞いてこよう。子ども達の活動を村で紹介できるよう、新聞記事もラミネート加工した。これを役場に飾ってもらおう。
そして、当時検査のためにかかった医療費も交通費もいまだに1円たりとも支払われていないので、それも請求してこよう。ずっと前には進んできたけれど、心残りは全て清算しよう。頑張れ自分。負けるな自分。