なんのために勉強するのか?
「なんのために勉強するんですか?」
と聞かれた。確かに。なんのために勉強するんだろう?
正直、勉強ができようが、できまいが、社会で生きていくことはできると思う。じゃあ、なんで学生のうちに子ども達は勉強しなければいけないんだろう。
その時、私はこう答えていた。
「自分が何か知りたいことや、学びたいことがあった時に、引き出しが多い方がいいんじゃないかな?勉強をすることに意味があるのではなく、その勉強をどうやってやっていくのか、その過程を知ったり、経験したりすることが大切なんだよ。」
模範解答のような答えが、口から出ていた。
急な問いに、本から学んだような答えをしてしまった。
本当に私は、なんのために勉強をするのか理解できているのだろうか?
私にとって勉強は手段だった。
中学校の最初の頃は、新しい知識を得ることが楽しくて仕方なかったので、よく勉強をした。テストでも点数が取れるタイプだった。
だんだん、数学とか苦手なものが出てきたり、少し複雑になっていくことで勉強を避けてしまう時もあった。
ただ、高校受験をするにあたって、同じ中学からは誰も行かないような高校に行きたかった。ものすごい進学校なわけではないが、私がいた中学の中ではレベルは高い学校を目指した。
中3の夏から塾に通い始め、部活動を続けながら夏期講習に参加した。
友達も通う塾だったが、レベル分けテストの結果、同じ中学の子がいないクラスに参加することになった。最初は、友達もいないし、少し苦痛に感じていたが、結果、勉強に専念することができて良い環境だった。
塾の先生との相性もよく、とにかく成績は伸びた。
夏の模試で志望校がE判定だったが、冬の模試ではB判定まで上がった。しかし、その年は、志望校の人気も高く、倍率も高かったので、推薦入試でダメなら受からないかもしれないと言われた。そして、推薦入試は不合格。
「落ちたら私立高校に行けば良いか。」
と半分諦めていたが、結果、志望校に見事受かった。
これが、私が必死に勉強した最後の記憶だ。
高校に進んでからは、運動部に入り練習の日々。恋愛をする暇はあっても、勉強をする余裕はなかった。(周りの子たちは勉強ができる子もいたから、ただやる気が無かっただけかもしれない。)
そして自己推薦で体育学部の大学に進み、部活に明け暮れ(色々と単位を落としながらもなんとか卒業単位を取得して、教職員免許をとり)、社会人になった。
私の人生の中で必死に勉強したのは中学生の最後の方だけで、それまでそんなに勉強に熱心な人ではない。
そんな私に、「なんで勉強する必要があるのか?」と聞かれても正直困る。
ただ、今になって思うことがある。
中学で学ぶ勉強は、本当はめちゃくちゃ面白い。
そのことに気づいたのは、中学生を卒業してから15年経ってからだ。
子ども達に学習をサポートする仕事を始めてから、勉強の面白さに気づき始めた。
最近の私の流行りは、人類学で、歴史の教科書を見ることは好きな小説を読むくらい面白いし、国語の教科書に載っている谷川俊太郎の詩を読んで泣きそうになるほど感動した。
理科の教科書にも生命や地球の不思議がたくさん詰まっているし、英語は自分の住む国とは違う面白い世界を教えてくれるものだ。
私は当時、その勉強の面白さには気づけなかった。
「知っている人ががいない世界」
にいくためのツールでしかなかった。
それでもあの時、一生懸命に勉強したことは、今の仕事に生かされているし、今の自分を創るための土台になったことは間違いない。
もし、15歳の自分を目の前にして、「なんで勉強するの?」と聞かれたら、なんて答えるだろう。
「将来のため」
なんて言葉は、多分響かない。
「いつかわかるよ」
では、モチベーションが上がらない。
結局いい言葉が見つからないけど、
もしかしたら、この言葉が一番納得できるかもしれない。
「”なんで勉強するのか?”その問いの答えを探すためかもね。」
そう言いながら、大人になった私は、勉強する理由を探して、今も勉強を続けていく。
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