![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163286119/rectangle_large_type_2_fccd63513137601a7370d1a5c256bafb.jpeg?width=1200)
生きやすくなるって?
先日、NHKスペシャルで写真家の石川直樹さんの回を見た。
なぜ山を登るのかを語る彼を見ていたら、
娘もこういう価値観の大人になったかもしれないと思った。
その後先週の柚木さんと琉之介さんが交流する日曜美術館を見て、
家ついていっていいですか?では、遺伝子疾患を持つ女の子とダウン症を持つ女の子と、お母さんと今暮らしていない長女さんが出てくる回をたまたま見た。
それぞれの思いを持って生きている。
それは、誰かに否定されるものではないが、
途中の道で誰か聞いてくれる人が居たらよかったとも思うし、
これから出会うのかもしれないとも思う。
ただ、真っ最中はしんどいのだ。
娘の思いの一部にアスペルガーの特性があって、関係しているのではないかという意見をもらっていたが、検査する前にこの世の旅を終えている。
私にもそういう傾向はあると思う。
これを言われたとき、何だか、それもなあと思ったのだ。
そうだとしても、これまでもそういうこどもたちがいて、フォローされたり、特性という扱いでなくても話を聞いてくれる人が学校にもいたと思うのだけど、親だけでない大人や大人の手前にいる人たちとのかかわりが少なかったんだよなあ、きっと。
今は逆にそういう話をじっくり聞いたり、関わる人員が学校に足りないんだろうな。
でも、特性が研究されて分かってきている事で、
どうして自分がそういう風に考えるのか、他の人とどう違うのか、
他の人が同じ意見でなくても大丈夫なのだという事を
精神力以外のところで分かっていく良さがあるとも思う。
娘は自分の事もよく知っていた。
けれど、思春期で揺れる気持ちの処理の仕方を知らなくて、周りのこどもたちが揺れて、娘にとっては失礼だと思う事、子どもっぽいと思う事をしている世界に馴染めなくて、自分を追い詰めたとは思う。
自分を持っているこどもが、子どもの世界で生きていくのは、時に大変だ。
それがお前ってこうだよなと理解しながら、一緒にいてくれる人が居たらよかったと思う。
そういう意味では、スクールカウンセラーにとりあえず話を聞いてもらったり、自分の心理発達について検査をしてもらうことは、社会生活がしんどくなった時にはしてみてもいいことだと思う。
きっと大学生や大人になって、知的好奇心の強いひとたちと一緒にいる事で気持ちが満たされただろうと想像する。
私自身は、いろんな特徴のある大人ともこどもと出会ってきて、
療育という世界にも出会ったが、石川さんの番組を見たときに、「そのままその人で生きていけばいいんじゃないか!」と唐突に思ったのだ。
そして、柚木さんたちを見ていて、
自分のわくわくをみつけるまで生きられるかどうか
自分のわくわくを見つけられるかどうか
自分の心の真ん中になるものを感じられるかどうか
が生きていくのに必要な一つなんだと思った。
それでも苦しい時に、何が生きていく理由になるのかは、私もこれからの課題であり、
理由なんかなくても生きている人もいるし、
考えなくても生きてられるというのもいいと思う。
私は、療育に関わる人が、
「周りの人に愛される様に」
「指示に従える様に」
という言葉を話すとすごく強い抵抗を感じる。
もちろん、社会生活や緊急時に安全に暮らすには、必要な能力だと思うが、
根本的な大事なその人を見失わないか危惧する。
でも、個人的な感覚なのかもしれない。
私の中の抵抗。
と思って、いくつか検索していたら、なんだかハッとする事があった。
「ネガティブナルシズム」なるものだ。
こんなに苦しんできたのに、今更幸せになってたまるかって、なんだそれは。
でもそうだ。
怖い。
今それをはずして、自分を満たして、自分は自分はって考えない様になりたいと思って、行動しているが、根本はそれかもしれない。
私は、親の不仲や暴力、離婚を見てきて、「そんなことよくある事。普通って、何?うちの普通はこれだし、離婚した方が平和ならそれでいいわけだし。」と痛みを無視して、私がこういう環境にいる事はふつうの事だとマインドセットしたことが尾を引いているのかもしれない。
不幸が得意になっているのかもしれない。
夫ばかりが心配されて、そのままでいいよって言ってもらってると思っている節があるのもそうだ。
幸せになれるのかもしれないと思った。
そんな今日でした。