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世界は自分が見た様に見える
今の状況になって、そのことが実感できてきている。
娘の事がなければ、分かった気になっていただけかもしれない。
仕事の事をふと思い出す事がある。
自分の以前の職場のやり方と転職した先のやり方が違う時、
科学的には変わっても問題がないし、
利用している人のメリットになると説明しても、
やり方を変えたくない人がいた。
それでなければいけない理由があるか聞くと、
過去に根拠を求められて窮した事を思い出すから、
ひどい事をされたという。
過去に人を引っ張る立場にいた人が
人を引っ張れるくらいの自分なのに、できていないと思い込み、
何か失敗した後、一人の失敗じゃない、みんなで引き受ける大丈夫といって、こちらがもう気にしていない事も
うまくいかない感や
利用している方に苦情を言われた事を引きずって、
以前と違う自分に理由が欲しくて、
ずっと「あの同僚は、私の事を気に入らないのだ」と思って、理由を探して病んでいく。
もっと、反省する自分を見てほしかったんだろうな。
私ごときに、そういう風に利用する人がガス抜きしたかっただけだから、と一緒に責任を引き受けられる事もプライドが傷ついたのかもしれないね。
別にずっと反省してほしいなんて思っていないからなあ。
今なら、少し違う話ができるだろう。
その時、相手は私に絶対的な力があると信じていて、
自分の事も全て話せば受け止めてくれるはずだと思っていただろう。
ただのがんばりおばさんなのだよ。
雑談が下手なんだなあの人、なのだよ。
愛を持って仕事をしているという風に言ってくれる人もいるのだよ。
みんな元気でいますか。
みんなが自分が苦しい苦しい私のせいだって言っていた事を受け止めようとしていた私はちょっと間違っていたかもしれない。
私が文句を言われてもいいという態度だったから。
あなたのその苦しさも受け止めますなんて、しなくてよかったんだ。
どうせなら、もっとあっけらかんと話せたらよかったね。
そうしているつもりだったけど、伝わり合えなかったね。
白黒つかない事や
理想通りにいかない事が起きた時に
わかりやすい答えが欲しくなるものだよね。
同じ出来事も、見る目が違うと記憶に変わるものです。