
ワンピースでも着てみんとす
お出かけのあてはないけれど
ゴミ出しついでに
おひさまの力を借りて、お散歩に行く。
久しぶりにワンピースを着ている。
全くウキウキしないが、ワンピースに合わせて髪をくくり、暖かくするだけで、その間脳みそは、そこに集中しているし、レギンスと靴下の色が合ってるかを見たりしている。
数ヶ月前なら、とりあえず服を着ていれば御の字だったわけで、ワンピースを着るというのは、一歩前進なのだ。
カウンセラーさんと取り組んできた軸の一つに、思い出す力が強い時に耐えられる力をつけるという事がある。
暗闇に吸い込まれそうな時
泣いて泣いてどうしようもない時
五感を活用する。
最初は出来ない。
例えば、きれいな木々を見て、ああ緑だな、どんな緑かな、小さい葉も大きい葉もあるな、と見ていく。
もう全然できなかった。
けど、そう言ってたな、位からでいいのだ。
思考する時間を少なくする。
思考は自分の方を向いているから、意識的、無意識的に、自分の思う様に固着しちゃったりする。
そんな事を、しばらくしているとある日、空がきれいな事に気が付く。
夕焼けや鳥や虫が声をかけてくれる。
私はそういう事を感じる人間だった事に気が付いていく。
noteを描き始める頃、落ち葉をきれいだと思った。
金木犀が香り始めた。
どうでもいい写真を撮る様になった。
意識せずに季節を感じられるようになってきた頃、茄子を炒めたものを美味しいと思った。
今も美味しい、きれいと思った端から、娘のことを思い出して辛くなる。
寒くなってから余計に。
でも、同じものを見ても変化している自分に気が付けると、回復してきている事を感じられる。
そうやって自分の形を思い出したり、
思い出す時間が減ってきてからの方が
娘のいろんな事を思い出す事ができる。
仕事に逃げているって、仕事を再開した似た境遇の人は思うかもしれないけど、生きていくのに、仕事の事を考えるのは、脳の助けになっているはずだ。
ただ、処理する事が多いと感情も揺れるから疲れるかもしれないなと思う。
思考に浸ることを否定しない。
でも、自分でいつまでするかは決められる力があると、私を信じたい。
取りに行く情報も、これから何をしたらいいのかという情報に変わってきている。
回復するために何とかしようとするのもいいが、とりあえずワンピースを見えるところに出す。
着る。
着て出かける。
なんて事から、感じるものは変わるのだと思う。
今日感じたワンピースの揺れ1つが明日の私を応援しているのだ。
無駄なんてことはないのだ。