あなたは世界を区切りたがる
これは会社員時代に言われた言葉です。
悪気があって言うような人ではありませんが、だからこそ、胸に突き刺さって、しばらく抜けませんでした。
あの頃の私は、ぐっと耐えながらこの言葉を受け入れました。そうする「べき」と思い込んでいたからです。でも会社を離れ、私の中に「あれは違う」と言う想いが芽生え、心はこう叫んでいました。
違う、違うよ。全然、違う。
何も聞かないで、確かめもしないで、
ただただ一方的だな。
■ 私が世界を区切った相手
それは会社が成長期に入った頃に、リーダー職で入社してきた人でした。
いつもなら、採用前に必ず顔合わせをしているのですが、採用を急いでいた事もあり、その人とは一度も会う事なく入社が決まりました。
そして、過去に私が面接や面接立ち合いで出会った100人以上の人の中で、たった1人、この人だけが「何かこの人ダメだ」と言うゾワゾワと違和感を拭えなかった人です。
後にも先にもこの人だけです。自分でも驚くほど、身体が受け付けませんでした。
勿論そんな理由で嫌がらせするとかありませんし、むしろ変化を受け入れることが会社の新たなステップだと信じていたので、適度な距離を保ちながら、必要最低限の関わりで過ごしていました。
■ 古参の苦悩
会社が成長期に入ると、創業メンバーの苦悩と言うのが必ず起きます。これはもう、ビジネスの教科書通りに必ず起きます。変わっていく事への不満が募るみたいな感じで、「昔は良かったのに」と言って、離脱して行く人も多いです。
でも、私はそうはなりたくなかったし、そう言って変化の足を引っ張る古参メンバーに、内心ウンザリしていました。新しい物を受け入れながら、古くても大切な物を残すことが「古参の役割」と思って、毎日奮闘していました。
■ ゾワゾワは消えない
数カ月経っても、その人へのゾワゾワ感が消える事はありませんでした。
一見物腰柔らかく、人当たりがよく、話しかけられれば笑顔なのですが、私はその笑顔がもう本当にダメで。周囲は、次第にその人のペースに巻き込まれて行くのに、私はどうしても受け入れられず、更に距離を取るようになりました。
周囲の人たちが、その人の"ヤバさ"に気付き始めるのは、それからずっと後ことです。
■ ある日、社長に呼ばれる
するとある日、私は社長に呼ばれました。
そして、例の言葉です。
「あなたは、世界を区切りたがる。」
言葉を失いました。これでも結構苦しんでるんだけど。そう思いながらも、マネージャーなのに「新しく入って来た人を、避けるような子供じみたできない奴だ」と、自己を卑下する想いが駆け巡りました。
■ 今、思うこと
今の私なら「世界を区切って何が悪い」と笑って言うでしょう。
私は不器用で、クソがつくほど真面目で、雇用形態、職種、社歴、年齢性別関係なく、どんな人の意見も聞きたいと思っています。
平等と言うところに異常に潔癖。
だからでしょうか、 世界を区切らずどんどん人を受け入れると、結局、誰ひとりとしてちゃんと向き合えずに、いずれ自滅することが本能的に分かっていました。
あの頃、すでに自分のキャパを遥かに超える大所帯で、ちゃんとしたいのにそんなに多くの人とは向き合えないし、だからと言って適当にもしたくないと苦しんでいたんです。
本当は、社長に、世界を区切るしかない理由を話したかったのだと思います。唯一の上司に、ただただ頼りたかっただけなのです。
■ 終わりに・・・。
私は、その2年後に退職しました。
この出来事は直接的に退職理由に関係ありません。最後の2年間で社外メンターに出会い、「走り抜けた10年半のこと」「自分が会社に貢献して来た実績」の言語化を手伝ってくれました。
自分自身をようやく肯定できた事は、退職の後押しをしてくれました。同時に急にこの会社に対して"しらけた"と言うのも事実です。
あの言葉を受け取ってから、過去のわたしが成仏するのに1年以上もかかってしまいました(苦)
あの時、心の底から社長に聴いて欲しかった本心。ただそれだけでした。それを認めることができたから、やっと「思い出」にすることが出来たのだと思います。あの言葉のおかげで、私は”聴く人”になろうと思いました。
これから先は、嫌な言葉を覚えておくより
嬉しかった言葉を覚えておく事にします。
人のことは分かるのに、自分のことは全くダメです。サポート・招待を受けると、心の底から喜びます。どうぞよろしくお願いします。