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わたし感覚が消えたとき、あたりまえの感覚を思い出しただけ、すごくあたりまえの。

わたし感覚があるから、
苦しめられる。
わたしはいない。なので、苦しむわたしはいないのです。
と、YouTube、本とかで、いわれてたり書かれてたりしてたのを、聞いてた読んでたんですけど、非二限の教えが何を言っているのか、全くよくわからなかった。

わたしはいない。
だから苦しみも喜びも、あらゆることは現れて消えるだけです。そこに、わたしの感覚というものがないのです。ただあるだけです。

????
え、まじで、どういうこと笑

全くいっている意味がよくわからなかったけど、
無理くりわたしがいないんだ、みたいに思い込むことでこのことを納得しようとしていた。

けど、待って笑
それは、そうとして

普通に、わたし感覚ってあるじゃん、
いるし、感じるし。
わたしがいないってなに?どういうこと??みたいな。

けど、その時とても苦しかったこともあり
なんとかその意味をわかりたくてわったふりをして、必死にもがいていたんだけど、

結局は、

無理にわかろうとしていた状態も、長くは続かず、色々な人の話や文献も読んだけど、もういいや、どうせわからない。特別な人が感じることなんだと、とりあえず放置して、わからないままにしていた。

そんなある日こと、
沖縄の海辺で
人生の先輩と話しているときに、それがいきなり腑に落ちた出来事があった。わかるというか、気づく出来事。理解ではなくて、体感という感じで。

以前かいたトピックの体の感覚を〜で書いていたように、
体の感覚に意識をむけて、その場の雰囲気や身体感覚を味わっていた。

すると先輩が急に、
『ふと我にかえる瞬間ってあるじゃん?
あれを気づいたときに意識的にやってみ。
こんな感じでさ』

『ふっ、ふっ、ふっ』と、ふっをいうごとに目を少しカっとあけて。

と動作と共に教えてもらい、わたしなりにその場でやってみた。

何かに没頭したあとに、パッと今に戻ってくる感覚。意識が、思考や行動に没頭していていて、ここにない状態から、今に戻る感覚。

ゲームに没頭してて、急に5時のチャイムがなって、あ、やめないと、と今に戻った時。

友達とながいこと馬鹿話していて、急にはっと今に戻る感覚。

何か夢中になれるものことで、遊んでいたときに長いこと没入しすぎていて、いきなり、はっと我に帰る感覚。


それを意識的に繰り返しやっていた。
無意識でそのような感覚がおとずれることは、たまにあったが、それを意識的にやってみた。

そうすると不思議なのだが、やっていくうちに、今にどんどん没入していく感じがあって、
その後また先輩に、

『わたし感覚ってあるじゃん?
そのわたし感覚に意識を合わせてみ?』
っていわれて、
『え、わたし感覚???このいつも感じているわたしの??』と、聞き返した。

『そうそう、わたし感覚。
わたし感覚ってどこにある?わたしがいるって感覚よ』

と言われ

意味が少しわからなくて、

『私で生きてる感覚ですか?
体の感覚ですか?目の奥にいる感覚ですか?わたしを観察してる感覚ですか?』と聞き返した。

『その感覚って、
どこに感じる?』といわれ、


とりあえず、目を閉じて感覚に入り込んでみたあとに、
目を開けて感覚に入り込んでみた。

感覚にじっと集中していたのだが、
わたし感覚ってこれっていうものがどこにもないということにそのとき気づかされた。感覚はあるのだけど、その感覚のふちがないというか。

わたし感覚に意識の焦点を必死に合わせようとしてるけど、わたし感覚はどこも曖昧でわからないし、それがあるのかないのかわからなくなった。

え???

てことは、わたしっていうのは
概念でしかなく決まった感覚ってないんだ。
意識を私感覚という思考の中でもってる概念に当てはめてるだけで、それは実存ではない。
わたしとはこういうものだと決めつけて思考している思考はあるけど、きまったリアルな感覚はないんだと。

それに気づき、
その後、その意識の感覚をわたし感覚だと思っていた枠から飛び出て、全体、見えるもの、いま目の前に感じるものに当ててみた。当ててみたというか、飛び込んでみたというか。

すると、
わたしと思っていた枠がはずれ、
わたしがみえるものかんじるもの今ここにあるものすべてがわたしという感覚になり、すべてがわたしなので、わたしがいないと、感覚的に腑に落ちたのであった。

はっとして、あ!!となり、ほーっと。なり、ふぅーとなった。そして、視界がぐわっと広がり、クリアになった。メガネの曇りを吹いた後にみえる景色のような感覚。
わたしがわたし感覚を狭めて、枠に入れていただけで、わたし感覚は全部なんだ!!!と。

ものすごく当たり前の感覚で、
小さい頃しっかりと感じていた感覚というか。

非二限のスピーカーさんたちが教えてるわたしはいない。という概念を聞いていた時は、僕の受け取り方もあり、
なんだか、ものすごい一瞥体験をしたり、ものすごい転換が起きるみたいなことを想像していたけど、それとは全く違いました笑
とても、スピリチュアル的な、ファンタジーの世界のような。幻想幻覚のような。

そうではなくて、


ただ、持っていた、感じてた感覚に気づく。
ああ、、、これか、これのことかのような。
頭にかけていたメガネをずっと探していて、それが見つかった時のような。
わからないときでもいつも感じてたこれのことか。なーんだ。


わかろうとして、わけようとして、思考の中であーでもない、こうでもない、分断してわかろうとしていたからわからなかっただけで、わからないままにして、リアルな感覚を今ただふっと感じることで、今にふっと感覚を戻し続ける、あり続けることで、それに気づけることに気づきました。

なんだか、当たり前すぎて
とてもよかったです。これが、一瞥のようなもの、何かものすごい変化がどばっときていたら、その体験にしがみついて、その体験をまた追っかけていたなと思うし、人に伝えるときにすごく傲慢な目線で伝えていたのかなと思います。
俺はそれを感じて、まだ君たちは感じていないみたいな。

ふぅー。はっ。ふぅー。

それは、

温泉につかって、わたしを忘れてるときのような感じです。

伝え方が
感覚的で、わかりにくいと思いますが、僕の言葉で僕なりに表現してみました。

今回は、わたし感覚がきえたとき
について書いてみました。

ではでは〜。

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